取材日:2020年9月8日
9月19日のYISA主催「第3回国際学部生のためのOBOGキャリア応援イベント」の相談員として参加される、卒業生の日高さんにインタビューしました。
▽なぜ国際学部に入ったのですか?
遡ること中学時代、当時住んでいた品川区がスイスのジュネーブ市と姉妹都市でした。その関係で、品川区とジュネーブ市がお互いに学生を招聘し合い、国際交流事業を行っていました。私が中学2年生の時、ホストファミリーとしてスイス人の学生を受け入れたのですが、初めて海外の生活に触れて、将来は日本にいるのではなく海外に飛び立つような人になりたいと軽く決心しました。また、英会話ができなかったという葛藤もあり、もう少し英語を学び、さらにフランス語も学んで国際人になりたいというぼんやりとした夢がありました。
その想いから高校はスイス公文学園というスイスの山の中にある日本人学校へ通いました。スイスでは、英語やフランス語を学びながら楽しく過ごしていました。そんな中、一人の先生が企画したボランティア旅行に参加しアフリカのザンビアに行く機会がありました。日本と比べると、スイスは南に行くだけなのでアフリカとは近い関係です。また、スイスは国連の集まっている場所なので国際援助に力を入れている国でもあります。そのボランティア旅行で初めてアフリカのザンビアに行き、そこで見た光景に想定してなかったカルチャーショックを受けました。援助するのが目的だったのでお金や物資を持って行ったのですが、私からするとアフリカの生活がうらやましく思えたのです。ザンビアでは生活コミュニティがあり、街行く人たちはお互い知っていて、子供たちは裸足でビニールをぐるぐる巻きにしたボールでサッカーをしていましたが、その生活と日本の駅のホームで佇むサラリーマンとを比べると、本当に貧困はザンビアにあるのだろうかと考えるようになりました。これは幸福論に通じる部分もあるかと思いますが、本当にアフリカは貧しいのかな、逆にこの生活のあり方は日本が学ぶべきなのではないかな、と思うようになりました。まさにこの事について書いているのが当時明治学院大学国際学部にいらっしゃった勝俣誠先生の『アフリカは本当に貧しいのか』(1993年、朝日新聞)という本で、こういうことを考えている人がいるのだと感銘を受けました。そして、この人の元で学びたいと思って行き着いたのが明学でした。明学に入った一番の理由は、勝俣先生のゼミで勉強したいという気持ちです。そこで開発学という学問に初めて出会いました。
▽学部生時代はどのような活動をしていましたか?
大学では色々と面白いことに取り組んだのですが、1番はボランティアセンターでの活動です。1年生の頃からボランティアセンターの学生スタッフに所属し、2年生からは学生スタッフのチーフとして活動しました。当時は地域密着型のボランティア活動をよくやっていました。その他にも、ボランティア活動の企画や、学生とボランティア団体の架け橋になるような活動も行いました。具体的には、明学にある様々なボランティア団体の情報をとりまとめて発信していました。私が3年生になる時に東日本震災が起き、“Do for smile”というプロジェクトを中心メンバーの一人として参加しました。ボランティアセンターとして1番初めに送った学生部隊の1人でした。その他にも、原発の反対運動や大学キャンパスへの自然エネルギーの導入など、学術と自分たちの活動を結びつけるような活動もよくやっていました。
3年生の秋から4年生の秋まで、カルフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に開発学専攻で留学もしました。卒業後は国際援助を仕事にするか、教育の道に進むのかで悩んでいたので、並行して教職免許も取得しましたが、そのころTICAD5が横浜で開催され、日本が多額の資金の援助協力を発表しました。この投資の在り方をもう少しフォローしたいということもあり、大学院への道を決めました。。大学院へ進学するため、就職活動もしていなかったので、その時間を活かし、中高の英語・歴史・社会の合わせて4つの免許を取得しました。教育実習は通年科目だったので、アメリカに1年間行っていた私は科目等履修生という、単位取得にだけお金を払う制度を利用して教育実習を終わらせ、大学には実質5年間通っていました。
▽卒業してからどのように現在のキャリアに至りましたか?
卒業して1年目は教育実習をしながらお金を稼ぐため、3つの職場を掛け持ちしていました。まず、学生時代にも英語をを教えていた小さな留学エージェントで英語講師をしていました。次に、明学のボランティアセンターのDo for Smileプロジェクトのアシスタントコーディネーターとして学生の活動をサポートしていました。そして、明学の教養教育センターでTOEICの指導を補助する仕事をしていました。大学院進学への貯蓄もでき、また色々な先生とも話ができたのでとても充実していました。
これらの仕事と教職免許の単位を取りながら大学院の準備をしていたのですが、大学院はアフリカに強く開発学が学べる海外の大学に行きたいと考えていました。自分の学びたいことができて、学費も自分で払えるという条件で大学を探した結果、スイスのジュネーブに行くことに決めました。大学の横には国連があり、大学自体も国連の研究機関のようなところだったので、行くしかないと思いました。
大学院では国連が立ち上げるSDGsは地域にどの程度土着しているかについて研究しました。その際にフィールドワークとして、高校時代に訪れたザンビアへ戻りました。そこで環境教育についての研究したのですが、現地では国連の言っていることを反芻しているだけで浸透していないということを知りました。そこから、国連の力が弱まっていると感じるようになり、民間を動かす力がなければ世界は変わらないと思うようになりました。こうした思いから、民間で働くために日本に帰ってきました。
最初は大企業に就職しようとも思いましたが、色々と調べていく内に「開発コンサルタント」という仕事に出会いました。開発コンサルタントの、民間を動かして開発援助のプロジェクトを仕立て上げていくという仕事に魅力を感じ、応募をして出会ったのが現在の会社です。
▽現在どのような仕事をしていますか?
開発コンサルタントという仕事をしています。私が働く会社では、一本の柱として経済特区開発があります。国が良くなるためにはその国の人たちの職業がないと良くならないというビジョンがあります。職業選択の自由を得るためには経済基盤が必要です。また、電気や水などのインフラは職業環境があるところで発展をしていくと考えています。
多くの途上国では、一次産業のように技術がなくてもできる下請け業がメインになっています。そこに新しい産業を生むには外資企業を呼び出す環境が必要です。例えば、現在仕事をしているバングラデシュでは、縫製業や海外への出稼ぎ労働が国の重要な収入源なのですが、このままだと他の国との従属関係が続いてしまいます。そうならないように、新しい外資産業を呼び込み、モノを生産してもらうことで国は技術力を蓄え、専門性が磨かれれば人材の質も向上します。こうした好循環のためには電力や水、廃棄物の問題も解決せねばなりません。また、バングラデシュでは国の金融政策で外資を受け取っているのですが、それを国外に出したがりません。そうした法規制から免除されるためにも、またインフラなどが整備された場所を1区画でも作り、経済成長を国全体へ広げて行くためにも、経済特区は欠かせないものです。
▽今の仕事の魅力はなんですか?
私の会社の所長は「私たちは国のお医者さんになる」ということをよく口にします。国の課題は何かというのを考えるのは、自分にとってとても勉強になります。何があるべき姿なのかということを考えさせられるのは魅力的だと思います。政府はこういう想いがあるけど農村部の人たちは違う想いを持っているというときに、それぞれの気持ちをくみ取って最終的にどうするかということを考えるのは難しく、葛藤がある仕事でもあると思います。
また開発学でもいろいろな考え方があることに気が付かされます。開発によって今までの生活ができなくなってしまうコミュニティもあります。国の在り方として何を優先するのか、誰が決めるのか、誰のためなのか、ということは、常に考えなくてはなりません。
▽今後の目標はなんですか?
私は2016年に現在の会社に入社して4年ほど経ったので、この業界について程度分かってきました。すると、同時にこの業界の限界もなんとなく見えてくるようになりました。途上国では汚職や忖度がたくさんあって、それを目にするたびに少し残念な気持ちになります。今の仕事は人と人を繋げていく点では魅力的で楽しいのですが、社会貢献を他の形で出来ないかという想いを持ち始めています。具体的に決まっているわけではありませんが、元々教育関係にも興味があったので、そことうまく繋げられたらと思っています。
▽あなたにとって国際学部とは?
国際学部で学ぶ内容はとても広いので、政治や法律、経済などの専門家のギャップを埋めることが国際学部の醍醐味だと思います。働くうちに国際学部で机に広げられたものを少しずつ回収できている気がしています。どこかで自分に返ってくる教材の種をばらまかれたようなイメージです。また、答えがないものを追求していくという能力を鍛えられる場所だと思っています。
▽在学生へのメッセージ
普段取り組んでいる活動、サークルや遊びでもなんでもいいのですが、それを学問と結びつけてみると、活動も学問もおもしろくなります。大学時代では、課外活動と学問は切り離されてしまうことがほとんどです。しかし、全く違ったものと関連性を生み出すというのはおもしろいものです。今の活動と学問をつなぎ合わせるのは楽しいことでもあるので、やってみることをおすすめします。例えば、
もう一つは、明学生は、先生方がとてもウェルカムで質問や相談できる機会にも恵まれていると思います。私は授業で分からない、納得いかないことがあれば、積極的に教授室を訪問するようにしていました。こういった明学が持っている学生のためのリソースを最大限に活用すべきだと思います。
〇日高大樹
1989年生まれ。中学の時、スイスの留学生との出会いから海外に行くことを決意。高校はスイスにあるスイス公文学園高等部へ進学。2009年に明治学院大学国際学部国際学科に入学し、勝俣ゼミに所属。3年次には、UCLAへ交換留学。卒業後、スイスのジュネーブ国際開発高等研究所で開発学修士号を取得。現在は株式会社日本開発政策研究所で開発コンサルタントとして勤務。