取材日:2020/9/16
▽Black Lives Matter 運動(ブラック・ライブス・マター運動、以下BLM)の発端と、運動がこれほどまでに盛り上がっている経緯を教えてください。
黒人に対する人種差別の撤廃を目指した運動はBLMが最初ではありません。1950年代の公民権運動はよく知られていますが、その一つの成果として1964年の公民権法が成立した以後も、草の根運動として全米各地で行われていました。SNSの発達によってこうした運動がより「見える化」し、その担い手が拡大したことがBLMの背景にあるといえます。
「ブラック・ライブズ・マター」は新しい言葉です。2012年2月26日の夜、フロリダ州のサンフォードで、当時高校生だったトレイボン・マーティンさん(17歳の黒人男性)が警官に射殺されるという痛ましい事件が起こりました。この時、発砲した警官が無罪判決を受けたことに対して、当時のアメリカ全土で大きな批判が沸き起こります。それを受けて、翌年、活動家のアリシア・ガルザさんがSNS上で「#Black Lives Matter」のハッシュタグをつけて抗議メッセージを発信します。さらに事件から2年後の2014年には、警官によって黒人が殺害されるケースが相次ぎました。例えばニューヨーク州ではエリック・ガーナーさんが警官に首を締められ死亡し、ミズーリ州ではマイケル・ブラウンさんが警官から10発もの銃弾を受けて射殺されました。さらにオハイオ州では当時12歳だったタミル・ライスさんがおもちゃの銃で遊んでいたところ、警官によって射殺される非常に痛ましい事件も発生しました。いずれの事件でも、発砲した警官は起訴されませんでした。今年2020年5月には、ミネソタ州でジョージ・フロイドさんが白人警官に首を圧迫され殺害されたことは記憶に新しいと思います。「#Black Lives Matter」はこれらの事件を受けてさらに拡散し、その名前を冠した抗議運動がアメリカ全土に止まらず、東京や大阪を含めた世界各地で行われるようになりました。
▽スローガンである”Black Lives Matter”という英語にはどのような意味や狙いが込められているのでしょうか。
「Black Lives Matter」は直訳すると「黒人の命は大切」となりますが、この3文字を日本語でどう表現するかは難しく、研究者の中でも見解が分かれています。「黒人の命<も>大切」といった訳は「黒人」を対象とした暴力が歴史的に存在してきた事実を矮小化する危険もありますし、「黒人の命<こそ>大切」や「黒人の命を粗末に使うな」の訳には運動を過激にする心理的要素が含まれているとの声もあります。私はそのまま「ブラック・ライブズ・マター」と使っています。21世紀の現代において、「人の命は大切である」という極めて当たり前の事実を、この三つの単語の列は一見すると無感情に訴えかけてくる。アメリカの建国から現代に至る長い歴史の中で行われてきた黒人への「暴力」に対する「怒りと絶望」を示す強烈な言葉だと感じるのです。
▽1863年の奴隷解放宣言以来、黒人たちは奴隷の身分からは解放されたものの、法の下の平等は獲得出来ませんでした。その後、1950年代から1960年代にかけて活発化した公民権運動によって、法による人種差別の禁止が認められました。しかし、なぜ今日でもなお人種差別は解決されずにアメリカ社会に根強く残っているのでしょうか。
アメリカにおける黒人差別問題は、長い抵抗の歴史を経て法律上禁止されるに至りました。「奴隷制」や「隔離(分離すれども平等)政策」の禁止・廃止などです。南北戦争(注1)後に憲法修正第13条で奴隷制度が廃止され、憲法修正第14条・15条で黒人に市民権と投票権が認められました。また、1964年には公民権法が制定され、選挙人登録による黒人差別などが禁止されました。これらはアメリカで人種差別が法的に禁止され、黒人の権利が憲法で保証されるという大きな成果でした。
(注1)1861年から1865年にかけて勃発したアメリカの内戦。アメリカ合衆国の「北部」側とそこから分離独立を主張する「南部(奴隷州)」側が対立した。1863年には戦争の大儀名分のためリンカーン大統領が奴隷解放宣言を行なった。
しかし、こうした成果によって変えられなかったものがあります。それは、差別問題を考える上でもっとも本質的かつ暴力的なもの、つまり「ステレオタイプ化されたイメージ」です。黒人に対するステレオタイプ化されたイメージは、黒人に対する法的、政治的な差別と平行して意図的に作られていきました。奴隷制時代には、黒人は「労働に適している」「強靭」といったイメージが奴隷労働を正当化したし、奴隷制廃止後には、「奴隷でいるべき劣等人種」「性的旺盛」といったイメージが白人による黒人のリンチを正当化しました。ステレオタイプ化されたイメージが、黒人に対する暴力の活性剤となったといえるでしょう。白人女性をレイプする黒人男性、それに抵抗する白人男性というロジックはあたかも社会構造であるかのように人々のイメージに浸透し、映画などのメディアによってより拡散していきました。人種とジェンダーの構造が複雑に結びついていったといえます。これは本学部の森あおい先生がご専門としてご研究されている分野でもあります(森あおい著『トニ・モリソン『パラダイム』を読む:アフリカ系アメリカ人の歴史と芸術的創造性』(彩流社2009年)など)。
公民権運動を経た1990年代以降も黒人に対するステレタイプ化された負のイメージは、薄まるどころか、さらにアメリカ社会に定着していきます。例えば、アメリカの麻薬撲滅政策に伴い、黒人には積極的に「麻薬の売人」「麻薬常用者」、そして「犯罪者」というイメージが付与されました。冒頭の警官による黒人への暴力が十分に追及されなかった根本的な原因もここにあります。現在アメリカでは、全人口のうち黒人が占める割合は13%にも関わらず、刑務所人口のうち32%が黒人です。監獄では囚人の食事、通信やインフラを提供するための監獄複合産業が生まれ、投獄された黒人は、その消費者としてのみならず、その労働者としてもこの「監獄ビジネス」に吸収されていきました。投獄された場合には選挙権を剥奪されるという州やカウンティ(郡)では、結果的に、黒人囚人は政治的権利を失うだけでなく、犯罪歴を持って生きる社会的・経済的な困難にも直面します。
このように、人種差別は法的に禁止されたものの、奴隷制を起源とするステレオタイプ化されたイメージによって警察による黒人への暴力が正当化され、黒人は現代において不当に監視・投獄・統制される立場に置かれています。このネガティブ・スパイラルこそが、現代においても解決されない人種主義、つまり「制度的人種主義」といえるのです。
▽BLMはこれまでの黒人の差別撤廃運動の性質と何か異なるのでしょうか。
冒頭でも述べましたように、アメリカにおける人種主義との闘いには長い歴史があります。黒人の差別撤廃運動に限っても、19世紀初頭には黒人奴隷制の撤廃と黒人投票権をめぐる運動が、1950年代以降の公民権運動では隔離政策(ジムクロウ制度)に反対する運動が展開されました。BLMは、こうした黒人自身による差別撤廃運動の延長線上にありますが、そこには過去に例のない特徴的な点が3点挙げられます。
まず1つ目は、BLM自体は個別の事件や事象に対する抗議運動ではなく、黒人に対するステレオタイプ化されたイメージが生み出す制度的・構造的差別に加え、広くアメリカの格差社会や資本主義に対する抗議も含まれている点です。奴隷制と人種差別が法的に禁止されたいま、なぜ黒人に対する暴力がなくならないのか。その問いに直面した時、アメリカは黒人差別の歴史に加えて、アメリカ社会の構造自体と向き合わなくてはなりせん。ネガティブ・スパイラルを生み出す監獄ビジネスは、大量の黒人が投獄されることによって成り立つ、資本主義の副産物とも言えるからです。つまり、現代の人種主義は人種差別の問題でもあり、さらに資本主義や拝金主義の問題でもある。これはいずれも「人の命を大切にする」という本質的な課題に対する障害として機能します。そのため、BLMは多くの人々がコミットするための強い動機を提供しているのだと思います。
2つ目は、運動の参加者には、黒人だけでなく非黒人の、特に20代から30代の若年層が多い点です。SNSを通して抗議運動の場所と時間が即座にシェアされましたが、これほど広範囲な若年層の関心を集めたのには、1つ目に挙げた構造的な差別が資本主義と分かち難く結びついていることと関係しているようにも感じます。2000年代に入り、アメリカでは経済格差が深刻化し、若者の貧困が表面化していきました。私がアメリカで大学院生活をはじめた2004年ころには、まずの留学生に対する奨学金が大幅にカットされていきましたが、アメリカ人の友人たちの中にも、多額の奨学金の返済義務を抱えながら卒業していった人たちも多かったです。さらにトランプ政権は、経済格差に基づくアメリカの分断も進めました。経済的な不平等や格差を経験している若者たち自身の不満がBLMに持ち込まれているのは明らかです。制度的人種主義にからめとられる黒人と、「自分たちの置かれた環境」とを重ね合わせることで、人種差別や資本主義がもたらす暴力を「私たちの問題」へとより普遍的に広げようとする傾向が見受けられます。
3つ目は、BLMは特定の世代から、地理的にも非常に広範囲に参加者を集めましたが、そこには強いリーダーシップを持つ指導者が不在であったということです。1960年代にはマーティン・ルーサー・キングやマルコム・Xといった象徴的なリーダーがいました。これには、政治運動の観点からメリットとデメリットがあったとの解釈があります。彼らの発言を取り上げるメディアの影響力も手伝って運動が急速に拡大し、強力なリーダーは瞬く間に分かりやすい抵抗の象徴となり、運動に多くの参加者を集めました。しかし、こうしたリーダーは暗殺によって命を落とす危険性を常にはらんでいます。マーティン・ルーサー・キングもマルコムXも暗殺されました。1980年代以降、リーダー不在の公民権運動は牽引力を弱め、運動は次第に下火になっていきました。アメリカでは黒人のリーダーの暗殺は歴史的に繰り返されています。2008年にバラク・オバマ大統領の歴史的な就任パレードの映像を、私は彼が暗殺されてしまうのではないかとテレビの前で固唾をのんで見守っていた記憶があります。皮肉にも、オバマ政権自体が人種主義の撤廃に向けた強いメッセージを発することがなかったことも、彼が「暗殺されなかった」一つの要因といえるかもしれません。それほど、アメリカの人種差別撤廃への道は当時者たちにとって「命がけ」なのです。BLMは過去の人種差別撤廃運動の延長線上にありつつも、強いリーダーシップを持った人物が運動をけん引するという運動形態を継承しないという戦略をとり、個々の参加者が自発的に役割を担う草の根的な運動形態によってその持続可能性を強めているといえます。
本記事の後編は>>Black Lives Matter運動とは?−現代アメリカ社会をめぐる人種・貧困・差別の構造−:後編
〇野口 久美子(のぐち くみこ)国際学科准教授
アメリカン・インディアン史(アメリカ先住民史)/アメリカ史/アメリカ地域研究
カリフォルニア大学デイヴィス校アメリカ先住民研究学科博士課程修了。先住民学博士。立教大学文学部史学科兼任講師や同志社大学アメリカ研究所助教を経て2015年明治学院大学国際学部国際学科に着任。著書に『「見えざる民」から連邦承認部族へ―カリフォルニア先住民の歴史』(彩流社、2015年)、『インディアンとカジノ』(ちくま新書、2019年)、共訳書に『11の国のアメリカ史』(岩波書店、2017年)などがある。