取材日:2020/9/16
▽黒人以外にも、LGBTQ+や先住民、移民など、マイノリティの権利を巡る問題は以前から存在しています。こうした問題の背景にある、アメリカ社会の構造や課題について教えてください。
マイノリティの権利をめぐる問題はアメリカに限ったものではなく、あらゆる国家に存在しています。これは国家が、権力を持つ「マジョリティ(男性)」によって構築されてきたという側面があるからです。「マジョリティ」というのは、人数の多さではなく、政治的権限の大きさで決定されます。特にアメリカは、アングロ・サクソン系の白人男性が主体となって誕生した国家であることは1787年の合衆国憲法を見ても明らかです。憲法には「女性」や「黒人」、さらには「インディアン」のということばさえ見られません(「インディアン」は2か所に見られますが、それは権利について述べたものではありません」)。彼らが権利を持つ「主体」として認識さえされていないことが分かります。建国当初、投票権があったのは土地を所有する21歳以上の男性だけでした。1789年にジョージ・ワシントンが初代大統領に選ばれた時、投票できたのはアメリカ国民のわずか6%にすぎませんでした。
アメリカは先住民の土地に建国され、黒人の奴隷労働を用いて拡大したという歴史的な事実があります。ゆえに先住民と黒人という人種的なマイノリティは世界初の民主国家たるアメリカの最大の「矛盾」として、建国以来存在しています。
さらに、アメリカは移民が建国した国家でもあります。かつては資金と運さえあれば入植者となることに制限はありませんでした。しかし19世紀以降、非プロテスタント系やアジア系の移民が大量に流入してくるようになると、アメリカは新しくやってくる移民を拒否するようになりました。その結果、いわゆる「移民問題」という概念が誕生し、「不法移民(現在ではundocumented immigrantsと言われます)」は、特にメキシコとの国境に接する「境界州」において、今日まで大きな政治的争点となっているのです。「不法移民」の存在は、「移民国家アメリカ」が抱える第二の大きな矛盾です。アメリカでは、非白人系の移民の増加により、2045年までには白人がマイノリティになると言われています。アメリカは誰を「不法移民」に分類し、国家を誰に対して開いていくのか。その移民政策は、今後、アメリカのあり方を真の意味で象徴するものになるかもしれません。
1960年代以降、先住民や移民、LGBTQの人たちなどへの差別が様々な運動によって可視化され、その権利が獲得されてきました。こうしたカテゴリー自体が歴史的・文化的・社会的に構築されたものである以上、その境界は非常に曖昧です。マイノリティを取り巻く今後の課題としては、マイノリティ内部の多様性にも着目することです。近年では、その内部に潜む経済的格差やジェンダー・地域による政治的主張の多様性も着目されるようになってきています。これらの観点にたてば、より多くの人々がマイノリティ問題を「自分たちの問題」として捉えるべき動機は十二分に存在し、同時に、教育では、そうした意識を持つ(あるいは意識に「気づく」)ための知的基盤を育てることが求められていると思います。私が担当する講義「異文化コミュニケーション」や「アメリカの文化と社会」の重要なテーマの一つです。
▽BLMと、先生が専門に研究されているアメリカ先住民史と、何か接点があれば教えてください。
アメリカでは先住民に対する人種差別も根強く残っています。例えば、警官による暴力は先住民に対しても顕著なのです。警官によって殺害される先住民の数は、警官によって殺害される白人の数の約3倍に上るというデータも出ています。これは、先住民の人口(国勢調査で自らを「先住民、あるいは先住民の血をひいている」と申告している人々)がアメリカ人人口のたった1.2%しか占めていないことを考えると極端に高い数値です。日本ではあまり知られていませんが先住民に対する人種差別の抗議運動、Native Lives Matter (以下、NLM)も盛り上がりを見せています。2013年以降、NLMはSNSを通してその主張が拡散し、2014年にはミネソタ州のスー族を中心に、抗議行動が全国規模に拡大していきました。戦後の先住民の抗議行動も1960年代のレッドパワー運動以降、長い歴史を持ちますが、今回のNLMの大きな焦点となってきたのは、特に警察によって命を奪われる先住民の問題と、先住民保留地で失踪する先住民女性の問題です。
アメリカ全土には570以上の部族(tribe)が存在しますが、そのほとんどは「保留地(reservation)」と呼ばれる土地を所有しています。かつて、北米大陸一帯に広がっていた先住民の居住地は、アメリカの建国以来、不当に奪われ続け、現在、こうした保留地はアメリカ全土のわずか2.4%を占めるにすぎません。しかもこれらは、砂漠や山間地、湿地帯など人間が居住するには過酷な自然環境、つまり移民が求めない僻地に作られました。そのため、先住民の自活の手段はごく限られてきました。多くの先住民たちは、自発的にせよ、強制的にせよ、生活のために都市部へ移り住み、労働者として生きる道を選びました。一方、保留地には圧倒的な貧困が残されたわけです。保留地では、肥満や心臓病、糖尿病、アルコール中毒患者の割合が他の地域と比較して多く、十分な医療や教育も整っていません。それに加え、近年明らかになっているのは、1940年代から保留地近辺で行われてきた核実験によって先住民のがん患者が急増しているという事実です。しかし、保留地の地理的環境と自治権を持つ先住民社会の閉鎖性、不十分な連邦支援によって、保留地に根差すこうした貧困問題が解決されることはありませんでした。570以上の先住民と200以上の保留地が全米に存在しているにも関わらず、世界の大国アメリカの中で、いつしか先住民は「忘れ去られた人々」となっていったのです。
加えて2010年代以降、特に問題になっているのが、先住民女性の殺人や失踪事件です。保留地では、女性に対するレイプや家庭内暴力が野放しにされている現状があります。都市部でも先住民女性の殺害や誘拐者数が他の人種に比較して多いことが分かっています。しかし、保留地が自治権を持つ部族、州、郡、連邦の複雑な管轄権の下にあること、保留地にはメディアの目が届かないことなどを理由に、犯罪捜査自体が十分に行われないことが常態化していました。それどころか、隠蔽されたもの、放置されているものを含めると、実際の被害の数さえも明らかにはなっていません。先住民は、犯罪捜査の上でも「忘れ去られた人々」となってきたといえます。(関心がある方は日本でも2017年に公開された映画『ウィンド・リバー』をご覧ください)
NLMが告発したのは、こうした先住民女性の殺人、誘拐、失踪問題でした。その根本的な原因もまた、アメリカの歴史が生み出してきた「制度的人種主義」に他ならないのです。2019年には連邦議会で先住民女性に対する暴力を本格的に調査するための法整備に向けた取り組みがやっと開始されました。
建国以来、およそ400年にわたって貧困と暴力にさらされてきた人々が振り絞って出した「声」が、多くの人々に共有され、「叫び」となって私たちの耳に届いているのがNLMでありBLMなのではないでしょうか。
▽最後に、BLMに限らず、アメリカにおける黒人差別反対運動全般について学びたい人にオススメの文献等ございましたら教えてください。
まずは運動の背景を知るために読みやすい概説書を2冊挙げたいと思います。
上杉忍(2013)『アメリカ黒人の歴史 奴隷貿易からオバマ大統領まで』中央公論新書
ジェームス・M・バーダマン(水谷八也訳)(2007)『黒人差別とアメリカ公民権運動−名もなき人々の戦いの記録』集英社新書
また、今回のテーマであるBLMに直接関連しているわけではないのですが、J・D・ヴァンス(関根光宏、山田文訳)『ヒルビリー・エレジー:アメリカの繁栄から取り残された白人たち』(2017年、光文社)も挙げたいと思います。
ここまで私たちは、アメリカのマイノリティと貧困をめぐる様々な問題を人種の問題として取り上げてきましたが、「白人貧困層」を考えることなしに、現代のアメリカが抱える差別と貧困の問題を理解することはできません。80年代のレーガン政権期の新自由主義政策(注2)や、トランプ政権の下で強調されたのが自己責任論です。つまり、「平等な機会が与えられたことを前提にすれば、結果は個人の能力に帰する、そのための責任はとるべき」という考え方です。リーマンショック(注3)の結果として急増した失業者に対してもこの自己責任論があてはめられ、富めるものと貧しいものとをさらに分断していきました。
(注2)「小さな政府」を目指し、公共サービスの民営化や大幅な規制緩和、市場原理主義の重視を特徴とする経済思想。規制緩和や大幅な減税を実施し、民間経済の活性化を図ったレーガン政権の政策は「レーガノミクス」と呼ばれる。
(注3)2008年にアメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻した事に端を発して、世界規模に拡大した金融危機。
貧困は黒人や先住民といった人種的マイノリティやエスニックマイノリティの問題として議論されてきました。自由の女神(白人)が象徴するアメリカンドリームは「白人のドリーム」だったからです。しかし問題はより一層複雑化しています。その例が、アメリカでサイレントマジョリティといわれている白人の中低所得者層や「poor white(プアーホワイト)」の存在です。2016年の選挙でトランプ政権の支持者をはじめとする保守派の一部を白人貧困層が占めていたことはよく知られています。彼らはBLMに乗じて「All Lives Matter(すべての人の命は大切)」をスローガンに、経済的格差を被っているのは黒人だけではないと皮肉り、対抗する運動も展開しています。
このように、現代のアメリカが直面しているのは人種差別だけでなく、資本主義や自由主義が生み出す経済的格差の問題でもあるのです。『ヒルビリー・エレジー』は白人貧困層の生活をドキュメンタリータッチで描き、アメリカでも広く読まれた非常に読みやすい本なので、アメリカの差別と貧困問題の複雑さについて考える上でおすすめです。
本記事の前編は>>Black Lives Matter運動とは?−現代アメリカ社会をめぐる人種・貧困・差別の構造−:前編
〇野口 久美子(のぐち くみこ)国際学科准教授
アメリカン・インディアン史(アメリカ先住民史)/アメリカ史/アメリカ地域研究
カリフォルニア大学デイヴィス校アメリカ先住民研究学科博士課程修了。先住民学博士。立教大学文学部史学科兼任講師や同志社大学アメリカ研究所助教を経て2015年明治学院大学国際学部国際学科に着任。著書に『「見えざる民」から連邦承認部族へ―カリフォルニア先住民の歴史』(彩流社、2015年)、『インディアンとカジノ』(ちくま新書、2019年)、共訳書に『11の国のアメリカ史』(岩波書店、2017年)などがある。