取材日:2020/10/27
▽なぜ国際学部に入ったのですか?
私は明治学院高等学校出身でしたので、明治学院大学の事はもちろん知っていました。ですが、入りたいと思ったきっかけは主に2つあります。
まず、私は小さい頃からアトピーがあったり、母親が生活クラブ生協で働いていたりしたので、環境問題に興味を持っていました。そのような背景の中で進路を考えた時、明治学院大学のシラバスや紹介を見たら「勉強したい事が勉強できそうだ。」と思い、特に「文化人類学」という授業に興味を惹かれ入学したいと思いました。
また、私が高校生の時はスターバックスが日本ではまだ珍しく、それから当時『ソトコト』(木楽舎)という環境雑誌が置いてありました。今は環境雑誌も多くありますが、先駆者のような『ソトコト』は、おしゃれで格好良くて、「環境問題解決に向けてアクションを起こす事は素敵だ。」「これについて勉強をしたい。」と思わせてくれました。そして、その雑誌に明治学院大学の辻信一先生(大岩圭之助先生)が寄稿されていて、「会ってみたい。」と強く思いました。このような背景から、国際学部で学びたいという思いに至りました。
▽学部生時代はどのような活動をしていましたか?
1年生の時は、高校までの勉強とは全く違う大学生の勉強をとても面白く思い、積極的に授業を受けていました。1年の終わり頃、友人が「勉強した事を実際に行動に起こすグループを作らない?」と声を掛けてくれ、学生主体のNGO団体「Body And Soul」を立ち上げました。5-6人で始めて、一番多い時でも10人弱の少人数で活動をしていました。メンバーの一人一人が担当企画のリーダーを務め、私は団体の事務局長として団体代表の学生と、それぞれの企画をまとめる作業をやっていました。そのため、2年生からは授業は最低限だけ取って、団体の企画などに力を入れていました。
具体的に、農業体験や、日韓交流、様々なイベント企画、キャンドルナイトの広報など、様々な活動を取り組みました。これらの活動を企画する時は、いつも友人と「平和的に社会を変えるための活動を、ちょっとラジカルにできないか。」と話していました。
農業体験では、環境問題に対しての私たちができる事を考え、学生だけでなく、地域の方も参加できるイベントを企画しました。例えば、舞岡公園の田んぼで稲作の全工程を行い、収穫したもち米で餅つきをしました。また、上倉田の農家さんが貸してくれた小さな畑で大豆も育てました。こう思い出すと、国際学部なのか農学部か分かりませんね(笑)
日韓交流では、政府間の葛藤でなく市民間の交流をしたいと考え、日韓市民層の交流会を企画しました。明学には韓国からの留学生も多いですよね?韓国はすごく近いのによく分からない事や、歴史的な衝突も多いですよね。その中で、市民間だからこそできる事を考え、これらの状況を変えていきたいと思っていました。
それ以外にも、スローフード(伝統的な食文化や食材を見直す運動)の勉強会や、他の学生団体や一般企業、明学との協賛で映画監督を招いて、白金キャンパスで映画上映会+トークショーなどを開催しました。
「100万人のキャンドルナイト」では、2003年の第1回目の時に、私たちが学内での広報活動をしました。教務課の方に頼み10枚の立て看板を横浜キャンパス中に立てました。名付けて、立て看ジャックです(笑)その看板を見た他の学生は「何だこれ?!」と驚いていましたし、担当の方と今でも繋がりがあるのですが、「あんな事をしたのは君たちだけだったよ(笑)」と言われました(笑)
様々な企画を提案したため、もちろん失敗も何度もありましたが、必ず応援してくれる大人たちがいました。「良い企画だね、じゃあこうしてみたら?協力してくれそうな人と繋いであげるよ。」と支援してくださったり、大岩先生や竹尾先生は顧問になってくださったり、イベント毎にアドバイスをくださった先生も沢山いらっしゃったので、本当にありがたかったです。
▽現在どのような仕事をしていますか?
私は大学卒業後、明学の大学院に進学し、1年の終わりまで在学していましたが、事情があり退学しました。その後、すぐに結婚子育てに移行したので、就職活動はほとんどしませんでした。
今は、韓国の「ハンサリム生活協同組合」の理事として活動しています。日本で韓国人の夫と結婚して、子育てをしていた当時は「生活クラブ生協」に所属していました。そこでは、生協の組合活動である地産地消や、生産者と消費者の繋がりを伝えながら、組合員が健康的な食と持続可能な社会をつくっていけるように活動をしていました。
日本での活動の流れで、韓国でも生協で活動するようになりました。初めの頃は、少し参加する程度でしたが、活動が面白く続けている内に、委員や委員長、理事になりました。理事になった今は、予算まとめや企画などをしています。
具体的には、組合員の方に生産者の気持ちや作物の育て方を伝える講演会の企画や、一人では調べきれない、気候変動やマイクロプラスチックの問題などの専門講師を招いた勉強会の開催などを企画しています。それ以外にも、組合員の方が企画したラフな雰囲気のイベントのサポートもしています。
また、私は環境教育に興味があり、「自然の友研究所」の国際交流委員としての活動もしています。常勤ではないのですが、国際フォーラムや、日本の関係者を韓国に案内する際、反対に韓国の関係者を日本の環境教育が進んでいる学校に案内する際に同行して、日韓通訳の仕事をしています。
それから、大岩先生が世話人を務め、学生時代から大岩ゼミの先輩と一緒に活動している「ナマケモノ倶楽部」の理事を現在しています。先生が来韓講演をされるときのサポートや通訳を夫婦で担当したり、ナマケモノ倶楽部で制作したDVDや資料の韓国語訳をしたり、最近ではオンラインイベントの企画運営にも携わっています。
▽仕事の魅力は何ですか?
「ハンサリム生活協同組合」での活動では、人が喜んで楽しそうにしている様子を見る事が好きなのですが、それに環境や食などの意味を上乗せする事が重要だと思っています。例えば、子育てで元気が無かったり、体調を崩していた人が、健康的な食べ物を食べて元気になったり、友人を誘って活動に参加してくれたり、元気に楽しく活動する人が増えていく事をやりがいに感じます。
「自然の友研究所」での活動では、日韓市民間の交流活動で、政府間の残念なやり取りが有ったとしても、市民同士ではそういう事は全く無しに、健全な未来を見据えて、「日本や韓国だけでなく世界全体の子供たちに、自分たちは何が出来るのか。」という事を考え、行動している方と出会える事がやりがいです。
▽なぜ韓国に行かれたのですか?
私は元々日韓問題に全く興味がなかったので、「Body And Soul」で韓国の友人が多い子が「日韓交流やろうよ」と言った時は、動揺しながら「わ、わかった。…やってみようか。」と返事をしました(笑)
韓国語の勉強だけでなく、隣の国との悲しい歴史の勉強をする中で、何度も友人と泣きました。韓国の多くの方は情に厚く、ストレートな表現をするところが私は好きなのですが、そのような方々と繋がる中で「政府間のやり取りだけがスタンダードになってしまうのは嫌だな。」と考えるようになりました。
団体で日韓交流活動をしても、大学生の頃はカタカナの「アンニョンハセヨ」程度にしか韓国語ができませんでした。ですが、4年生の時に、辻先生(大岩先生)の「ナマケモノ倶楽部」の繋がりで「ピースボート」の活動を紹介していただきました。私が乗船したのは2005年ピースボートで初「2週間東アジアクルーズ」(green&peace boatの第1回クルーズ)で、300人の日本人と300人の韓国人が参加しました。「ナヌムの家」「原爆被害の跡地」「中国の戦争跡地」「中国企業のゴミや汚水処理などの環境対策実践地」などを巡り、歴史問題や環境問題に注力した、とても濃く充実した2週間でした。
そこで私は、当時「ハチドリ計画」という南米先住民に伝わるハチドリのお話(*ハチドリのひとしずく)を伝えるNGOの事務局長をしていて、そのお話を船内にいる韓国人と日本人600人に伝えるために、船内ワークショップを毎日のように企画していました。
そこでボランティア通訳をしていて、韓国語がまだまだ未熟だった私をサポートしてくれたのが今の夫です。その夫と船を降りた後に結婚しました。韓国人の夫と結婚したので、その後も韓国語の勉強を続け、今に繋がりました。
言語を勉強する時は、自分の興味のあるテーマで本を沢山読むといいと思います。私の場合は、環境問題や食について興味があったので、「韓国の方が話している内容を知りたくて仕方がない!」という一心で勉強を頑張れました。興味がある事は学問分野でなくても良いと思います。アイドルやドラマなど自分の好きな事から攻める事が、最短距離で言語を上達させる方法だと思います。楽しくないと、続けるのも大変ですしね(笑)
また、韓国に来たからこそ、日本のメディアで伝えられている北朝鮮や韓国の情報は、少ない上に、曲げて報道されている事を痛感しました。偏ったイメージが多くの方の中に作られてしまう事は本当に悲しいですよね。そのような状況の中で、多くの人が考えたくもない、考えようともしない社会問題に、興味関心を持って学ぼうとする姿勢はとても大切だと思います。
▽あなたにとって国際学部とは?
「自由な発想と行動力を応援してくれたところ」また辻先生(大岩先生)の言葉をお借りすると「学び直す所、学びほどき編みなおす所」です。義務教育で詰め込んだ様々な勉強を、もう一度自分で学び直して行動する事や、そこから何かを得ていく事を教えてくれた場所でした。
また、進路も幅広いですよね。国際関係の企業や団体NGOに進む子や、家業を継ぐ子、起業したりライターになったりと、分野が違う仕事に就く子もいます。そういう、学んだ事を自由に活かしていく所も国際学部の魅力だと思います。
▽在学生へのメッセージ
今は(取材日:2020年)コロナの影響で、皆さんが思い描いていた学生生活とは違う学生生活になってしまったと思います。ですが、そこで諦めたり、受け身になるのではなく、自分から積極的に学びに行ってほしいですし、様々な事を聞いて吸収してほしいですし、良い意味で大学を沢山利用してほしいです。
そして、いつになるかは分かりませんがコロナが落ち着いたら、国内でも海外でも旅行に沢山行ってほしいです。学生時代の感覚が敏感な時に旅に出て、様々な人、物、食べ物、景色に出会う事で、「国際学部生」だからこそ感じられることを、ぜひ自分のモノにしていってほしいです。
*ハチドリのひとしずく
http://www.sloth.gr.jp/movements/potori/
〇鈴木あゆみ
1983年生まれ。2002年に明治学院大学国際学部国際学科に入学し、大岩ゼミに所属。学部生時代には、学生主体のNGO団体「Body and Soul」を立ち上げる。
卒業後、渡韓し現在、「ハンサリム生活協同組合」の理事、韓国「自然の友研究所」の国際交流委員を務める。ナマケモノ倶楽部理事。