取材日:2020/12/29
▽どうして国際学部に入ったのですか?
国際学部を選んだ理由は、高校生の時から、なんとなく国際的なことや海外に興味があったことが大きなきっかけです。親が国際的なNGOで働いていたこともあり、幼い頃から海外事情を知ることが好きだったようで、育った環境の影響があったと思います。
▽学部生時代はどのような活動をしていましたか?
「JUNKO Association」「半澤ゼミ」そして「フィールドスタディ」が、私の学生生活で特に力を入れていた活動でした。
「JUNKO Association」は学生が主体で活動しており、自分で考え、実践することを重視し活動していました。もちろん、社会人や専門性や経験のある先輩たちや現地側の協力者に支えられて活動していました。サークルを探していた際に、先輩からJUNKO Associationを紹介してもらいました。学生たちが熱と責任を持って活動しているということを知り、面白そうだなと感じJUNKOに入会しました。
僕はミャンマーの担当で、長期休暇(夏季/春季)になると現地へ行く活動をしていました。 学生生活を通して、5回ほど現地へ行きました。2年生から4年生までは執行部/リーダーとして熱心に活動しており、その時期、チームでは、図書館建設のための資金の調達や図書館建設後の運用検討などを行っていました。僕は、その検討ではなく学校にいけなくなっている子どもたちのための奨学金事業を担当していました。支給家庭への家庭訪問や実際の給付の授与式を企画に加え、支給の基準の精度を高めるための調査を国内外でおこなっていました。
現地では1日数ドルのみでの生活している、といった架空のつくり話のような状況が目の前にあります。私たちがただお金を渡しただけで貧困問題は解決される訳ではありません。何回もそこに通い、その当事者と直接向き合うことで、私たちとなにも変わらない同じ人間であると知ることができ、直接現地に触れることの重要性を実感しました。
日本人は観光に行くとき、特に東南アジアでは、現地感のあるすごくラフな格好をする人が多いと思います。観光であればもちろんそれでよいと思いますが、支援活動の場合、それは現地の人から見ると何だあいつら、なんか浮かれてんな、と思われてしまう可能性がある訳です。そう考えたとき、僕らは支援を必要とする人を前に浮き足立ってしまい、目の前にその当事者がいるにも関わらず、架空の話としてとらえ、偏見の中で、活動してしまいます。
活動を通して、相手側を慮る、相手の立場になって考えることが何よりも大切になるのだと学びました。相手を支援しているからと言って、上の立場にあるわけではない、あくまで対等な立場で、同じ人間として付き合うということが重要だということをJUNKOでの活動で学びました。
ゼミは半澤ゼミに所属していました。国際学部に入ってからも何に興味があるか曖昧でしたが、2年生のときに半澤先生の国際関係論という授業を受け、国際的な政治の動向と文化が結びつくこと、政治において文化は非常に重要だということを学びました。文化が政治に影響を与える力はとても大きく、それを国際関係論に結び付けていた授業で、それがすごく面白くて衝撃的で、自分にしっくりきたのを覚えています。
一番大変なゼミに入ることで自分を鍛えたい、有意義な学生生活を送りたいという思いもあり、半澤ゼミに決めました。僕の人生において、学生生活の中心はゼミの活動でした。2,3年生のときはJUNKOで中心として活動を回しながら、ゼミにしっかり取り組むという多忙な日々を送り、あっという間に時間が過ぎていきました。自分の興味関心に合っていたことと、コミットメントを求められるゼミの方針が魅力的だったのが半澤ゼミに入った理由でした。
入ゼミしてからは、論文の執筆を通して文章力が大きく鍛えられた以上に、物事をしっかりやり遂げる、一つのものをやり切るという力が鍛えられました。またインプットの量が多く、1週間に一冊本読んできてディスカッションを行っていました。ゼミでは、発言しなければその研究分野への貢献にならないという考え方をゼミ生と共有しました。常にやりきることへのコミットは、学生生活の良い経験でした。
やり遂げることに意味があると考えるようになったのは、今でも根付いており、他の学生と比べて自分の強みだと言えると思います。JUNKOとゼミ、統合して考えることが重要だと半澤先生からアドバイスいただきました。そしてJUNKOとゼミは、共通点がどこかにあるのではないかと考える様になりました。人間関係を構築していく、物事を進める上での人との予定の調整の取り方などといった力は、どちらの活動でも身につけることが出来きます。
ゼミで得た反省点はJUNKOでも活用できました。リソースを分断して考えない、全部自分の中のものとして1個で捉えて全力でぶつかっていく、その考え方を統合して考えると当時は言っていました。すべて「自分の成長のため」として考えれば、一つの軸の中に収まります。JUNKOで文章書くタスクがあれば、それを積極的に担当することで、文章を書く練習をしました。そうすることで文章スキルをJUNKOの活動に活かすことができました。
自分の中で軸を定め、複数の観点を統合し、軸の中に包摂していくことは重要です。時間はみんなに平等なので、「何をすべきか」を自分の中で統合できたらすごく楽になります。時間がないというのは学生時代のよくある言い訳です。頭が追いついていないだけで、どうやって頭を追いつかせるかを考えることが重要になってくるのだと思います。
3年生の時には、フィールドスタディという半年の期間限定のゼミという形の授業にも参加しました。当時、国際学部にいらっしゃった斉藤百合子先生の専門であるタイの人身取引についての授業が開講されていたことを知りました。これを知ったときに、東南アジアにも行くことができ、JUNKOに近い問題意識を深めることができると思いエントリーしました。
夏季休暇に5日間ずつタイとミャンマーに行きました。そこでは人身取引の問題と、自分の興味関心分野についても研究することができました。その年は、ちょうど戦後70周年で、日本の戦後戦争責任が一つ興味でした。日本の戦後責任とタイというと、泰緬鉄道というミャンマーとタイを繋ぐ鉄道が有名です。イギリスが敷設しましたが、日本が侵略した場所です。そこで捕虜に対し、強制労働を行なったことが国際的にも批判されています。泰緬鉄道を取り巻く戦争の問題をどう捉えるべきかという調査を実施しました。
またミャンマー、タイそして日本の現代の関係性の調査をおこないました。実際に現地ではお墓や博物館に行き、現地の人のお話を聞きました。戦後70周年の時に行きミャンマーを見ることで、より具体的に知ることができました。海外に出てアウトプットをするという経験ができてとても良かったです。
▽どのように現在のキャリアに至たりましたか?
JUNKOの活動では、執行部での活動を通して、人を動かすことや、あるべき組織の姿、活動やルールについて考えることが多くありました。現地のことを考えることももちろんありましたが、それ以上に組織をもっとよくしたいとか、組織をもっとよくすればもっといい活動ができると思っていました。
JUNKOの会計リーダーとして、助成金担当として、お金を渡す立場で活動していたため、お金に対しての問題意識がありました。将来国際系の機関で働きたいと思っていましたが、先ほど話した通り、ゼミの友人から組織や会計の問題意識からコンサルティングが向いているとの話をうけ、その業界に興味を持ち就職活動を行うようになりました。
就職活動を通じて、コンサルティングの職務経験を積んでから組織運営、経営のスキルを身に着けたプロとして国際機関やNGOで働くほうがいいんじゃないかと思うようになり、アクセンチュア株式会社への入社を決めました。
就職して最初の案件は、某電力会社のI Tシステム関連担当になりました。新しいI Tシステムの導入を促進する役割として、クライアントに常駐し、社員さんに理解を深める講習会などの開催や問い合わせ窓口としての仕事でした。現場の人と話し、提案し、傾聴し、現場を良くしていくということは、とにかくコミットを求められていました。
ここでの経験は、この世の中やり切る人間が評価されるんだなってことでした。課題を抽出し、こういう問題やあんな課題がある、というふうに風呂敷を広げることが得意な人はたくさんいます。しかし、その広げた風呂敷を綺麗に素早くたたむのは難しいことです。たたみ方を皆知っていても、3ヶ月で畳める方法を知っている人は少ない印象でした。そのスピードとやりきる精度を学んだのが、コンサルティング会社時代でした。
転職したきっかけは、身に付けたノウハウを実践できる場を求め、自らやった方がいいと思ったことが一つのタイミングでした。その折、ある新規事業をやりたいけど人が足りないからどうにもならないということで、ちょうど救世軍の方から声をかけていただきました。それをきっかけに、悩みましたがもっとチャレンジングなことをしたいと思い、救世軍に転職をきめました。
今は救世軍で新規事業開発プロジェクトに関わっています。企業家の方や資産家の方の所にご説明する構想を検討し、調達した資金で子供食堂や、地域のバザーといったような、地域に貢献できるような救世軍の事業の立ち上げにチャレンジしています。(現在はコロナウイルスの影響で牛の歩みですが。。) いずれは、その経験を通して組織を回す人間になりたいと考えています。
JUNKO、ゼミ、アクセンチュア、そして救世軍という僕の経験は、「やり切る」という言葉がキーワードになっています。自分の人生のターニングポイントがいくつかあるのですが、そのポイントでは、常にやり切ることを意識していたと思います。この力は本当に大学生活・社会人経験で身についたことですね。
▽現在のキャリアの魅力や大変な面はなんですか?
コンサルティング会社での大変だったところは、求められるスピードや完成度が社会のトップレベルであることでした。そのクオリティを常にアウトプットすることは本当に大変でした。コンサルティングは常に雇われの身です。事業の運営ではなく、お客さまの事業を動かす仕事です。常にみられているというプレッシャーと戦っており、ミスが許されません。期待を越えていかないと次の契約の契約も結べません。ずっと見られている仕事は、クオリティが求められ、身なりや言葉づかいもしっかりしていることが求められるので、態度や資料まで徹底しなければなりませんでした。
それに対して、救世軍は全て自分から事業を動かすので、自分で仕事を見つけて働かなければならない大変さがあります。今までは教科書のようなマニュアルや契約があったので、それが無い状態で物事をやり切るという大変さがあります。自分のやっていることが正解なのか分からないと感じることもあります。しかし、それぞれ違う意味でのやりきることの重要性は共通しています。
アクセンチュア株式会社の魅力はトップレベルの人と話ができることでした。救世軍ではまだ働き始めたばかりなので、明確な魅力ややりがいは不明確ですが、救世軍で自分のやりたいことをやって、それが世間から評価されて、多くの人が連なってくれた時にやりがいを感じると思います。
▽社会人になるための覚悟とは?
自分の興味があることや、やりたいことだけが仕事ではありません。全く興味がないものでいかに成果を出せるか、どれだけ自分の存在感を発揮できるか、できない自分がどれだけできるようになるかを意識することが本当に大事だと思います。できることをやるだけで仕事はやっていけません。できないことをどれだけできるようにするか、その気持ちがあるかどうかがいい社会人になれるかどうかだと思います。
アクセンチュアでは、最新技術を取り扱うことがあるのでこのことについて考える機会が多くありました。自分の人生において、40年働くと考えると、出来ることだけやるというマインドで仕事していたら、20年後には、その仕事はもしかしたらなくなっているかもしれません。そう覚悟したうえで、できないことにどれだけ挑めるか、若々しい気持ちを持ち続けられるかが大事だと思います。何ごとも新しいことを見つけたらチャレンジすべきだと思います。
▽あなたにとっての国際学部とは?
僕の人生の中で明治学院国際学部への入学は、自分にとって良いきっかけを与えてくれた場所でした。そういう意味で短い人生においては最良の選択だったと思います。国際学部だからこそ様々な人間関係を構築でき、そこで得たものは大きかったです。
国際学部では、自分の専攻する研究分野を決めなければならないということは非常に貴重な経験でした。その体験は一見楽な学部に見えますが、一生懸命勉強してくださいよというメッセージだと思います。
あくまで私見ですが、国際学部は内部で二極化しており、自分のやりたいことを見つけられない人が出てきてしまうこともあります。しかし、自分はその壁を越えていくことが重要だと思ったので、勉強に真剣に取り組みました。真剣に取り組んだからこそ、ゼミでの関わりは今でも続いており、自分にとっての居場所になっています。
▽在学生へのメッセージ
僕の経験から、目の前にある楽しそうなことや経験になりそうなこと、インターンシップに参加したり社長に面会するなど、そういう貴重な経験が一番大事そうに見えますが、結局一番大事なのは勉強や自分で研究するということだと思います。
ゼミ選びや自分の興味関心を深め、しっかり学問に取り組むことが、一番得られるものが大きいと思います。外出が制限され、留学も難しいこのご時世だからこそ、地味かもしれませんが勉強に向き合うことで、社会で活躍できる地盤固めを頑張って欲しいです。
〇プロフィール
石坂清太郎さん
2013年に国際学部国際学科入学、国際ボランティアサークルJUNKO Associationに所属。2年生から卒論執筆まで半澤朝彦ゼミに所属。卒業後はアクセンチュア株式会社に就職し、転職して現在はThe Salvation Army Japan THQ(救世軍本営) に入職。