タイ王室の歴史と今【後編】

取材日:2021/3/10

本記事の前編はこちら>>「タイ王室の歴史と今【前編】

▽タクシンの政治

 その後、タクシン・チナワット(1949-)という人が出てきます。聞いたことありますか?

 彼は元々警察官僚ですが、その後ビジネスマンとして大成功し、政界に進出して首相になりました。

 タクシンの政党(タイ愛国党)は半分以上の議席を獲得し、大勝利を収めました。その人気はどこから来たかというと、最初は2つありました。1つ目は、農村の人たちに利益になることを色々やって、農村の人々から人気を得る。2つ目は、彼はビジネスマンでもあるので、経済成長も重視していて、都市中間層からも人気がありました。

 ですが、人間というのは力を持つと独善的になって、人の言うことを聞かなくなります。そうなると怒るのは、都市中間層です。知識と発信力で政治に影響を与えることができますし、政治の中枢にも近い人達ですね。この人たちが何を言ってもタクシンは言うことを聞きませんでした。なぜなら、選挙で議席の圧倒的多数を占めることのできる「票」があるからです。その票は、人口の多い農村で集められます。

 すると都市中間層の人たちは、「私たちは知識があって、良い事たくさん言っているのに、言うこと聞かない。なぜなら、農村や都市の貧しい人がタクシンに票をやっているからだ!」と思うわけです。

 彼らは選挙では勝てないので、それ以外の方法でタクシン政権をひっくり返そうとします。反タクシン派の人々は、黄色を旗印に街頭行動や公共施設の占拠をしました。こうして混乱がおきると軍がクーデタを起こして、タクシン政権が壊れたわけです。その後も、選挙をやればタクシン派が勝ち、それに対して反タクシン派が抗議活動をします。こういうサイクルが約10年続きました。

▽反タクシン派の動き

 反タクシン派が使っている黄色は9世王のシンボルカラーです。曜日ごとに色があるのを知っていますか?誕生日の曜日を知っている日本人は少ないと思いますが、タイ人はみな知ってますよ。そして、黄色は王様が生まれた月曜日の色です。9世王の旗はみな下地が黄色です。反タクシンの人たちはこの黄色を使うことで、自分たちが王室を守る勢力であるというイメージができます。

 タクシンは、地方で「橋がなくて困っています!」という声があれば、国の予備費を使って橋を作りました。これは国王がやっていた事と似てますよね。そうすると、国王の権威を踏みにじっているようにも見えるんですね。国王がスピーチする時があるんですが、そこでなんとなくタクシンに対する皮肉が入っているように聞こえます(笑)。そこで国民も「王様があまりタクシンを好んでいない」と感じるようになり、それを利用して、反タクシンの人たちは、タクシンは国王を蔑ろにしていると主張しました。

 実際、クーデタなどで、タクシン派の政権は二度、三度と倒れました。そうすると、タクシン政権によって利益を得ていた農村部や都市の貧しい人達は、不満に思うわけです。自分たちが選んだ政権が潰されるのですから。反タクシン派が王室のことをタクシン批判に使うものだから、王室は反タクシン側とつながって見えます。

 このように反タクシン派の人たちは国王を政治の中に取り込んでしまいました。国王の権威を政治的な力として使ったんです。それは人々の国王、王室を見る目に影響したと思います。それまで国王は誰にとっても素晴らしい人で、開発によって貧しい人を助けてくれる人、あるいは政治の安定を図ってくれた人であったのが、一部の民衆にとっては自分にとって望まない政治勢力の後ろに見えるようになったんです。

 不敬罪があって厳しい罰則がありますから、公言はしていませんが、不満が徐々に溜まっていきました。タクシンもタクシン派の政治家も、さすがに国王に対する不満をいうことはできません。最初に紹介した、タナートーンの政党も、そこまで過激な発言はしていませんでしたが、王室を巻き込んだ政治のあり方に批判的なスタンスを取っていました。タクシン派も反タクシン派も、ある意味ではタイの既存の価値観や社会制度の上に立って競い合っていましたが、タナートーンとその仲間たちは、それとは違う価値体系を持ち込んだといえます。政権側、体制側としては、タクシンよりも不気味だったかもしれません。

▽公言されるようになった王室批判

 なので、王室に対する不満は、単に交通渋滞が発生するからというだけではなくて、政治的な権利や自由とも関わることだと思う人たちが出てきました。でもそれを言ってはいけないはずでした。

 ところが、誰かが「おかしい」と声を上げたんです。おかしいと思っている人は結構いたのだが、誰も言えなかった。ところが誰かが言ってしまったために、みな言い出した。似たような話がアンデルセン童話に出てきますよね。

 こうして思っていた事が言えるようになって、ぶわーっと広がったのが今のタイです。「タイが大きな変化の時にある」というのは、立憲革命の後に権威が落ちた王室を、ラーマ9世が長い年月をかけて立て直し、さらに高い存在になりました。しかし、今まさにそれが変わりつつある状況になっているんです。

 そのきっかけの1つとして、ラーマ9世から10世王への代替わりが挙げられます。ラーマ9世王は文人でもあり、哲学者でもあり、芸術家でもあって、様々な努力をしてきました。その息子であるラーマ10世王は、だいぶタイプが違います。そういう人が国王になった事がきっかけのひとつにはなっているでしょう。

 ですが、これまで話したとおり、王室に対する不満がたまったのは、9世王の時代です。国王の権威や国王への敬意がどんどん高くなっていった時です。この結果、国王の権威を利用する人たちが出てきたのでした。

▽抗議活動に若者が多くいる理由

 タイ人は、一見すると個人主義的で、自由に暮らしているように見えますが、社会にはヒエラルキーがあって、上の人が権威を振りかざすということが結構あります。そうした社会階層の頂点にいるのが国王です。しかも国王は道徳的な価値観という点でも社会の頂点にあるとされてきました。

 こうした上下関係があらわれる場所のひとつが学校です。教師は生徒の上に立ち、しかも道徳的にも上にいるとみなされてきました。こうした価値観のヒエラルキーの中で、抑圧感をもっていたのが、若い人たちだったと思います。信じられないかもしれませんが、2017年に校外実習でチェンマイ県農村の小学校を訪れたとき、先生のひとりが細い棒を持って歩いていました。子どもに威圧感を与えたり罰を与えたりするためのものでしょう。権威と力で児童生徒をおさえつけるという考え方がまだ残っているのです。

 今回の運動には、大学生だけでなく、高校生や中学生も参加しています。その中には、「不良生徒グループ」を自称する団体があります。上の言うことを「はいはい」と聞くような人ではないという意味です。そういう学校システムの不満が、政治的な不満の中に埋め込められて出てきているので、若い人たちも参加しているのではないでしょうか。

学生ライター:家族の間でも、王室に対する見方が異なるという話も聞きました。こうした世代間の意識の違いは、教育システムや、先生方の思想が変わったという事ではなくて、若い人の中にある不満を、彼らが自ら出し始めたという事なんですね。

 もちろんタイの教育制度も変わってきているとは思いますよ。新しい人が新しい考え方を持つようになってきて、世代間で王室に対する見方がぶつかるという事が起きているんだと思います。それに国が貧しい頃のラーマ9世王の活動をずっと見てきた人と、そうでない人たちとの間に意識のギャップがあるのは当然だと思います。

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