【私にとっての国際学部】18KS馬島亜蘭さん

取材日:2021/03/20

▽なぜ国際学部に入ったのですか?

 小学2年生の時に、UNHCRをテーマにした『風に舞いあがるビニールシート』(2006、森絵都)という小説を元にしたドラマ(2009年、NHK放送)を見ました。ネタバレになってしまいますが、UNHCRで働く交際していた男女の片方が、タリバンに殺されそうになった少女を庇い死んでしまうシーンがとても強く印象に残りました。

 私は死に直面する経験が無かったので、何よりも大切な自分の命を投げ打ってまで他人の命を守らなければいけない状況に驚き、「戦争」について考え始めるようになりました。それから、小学生向けの偉人紹介小説や漫画を多く読むようになり、「世界で人と人が殺し合う状況があるんだ。」という事を知り、国際協力に興味を持つようになりました。

 小学6年生の時、サイパンの第二次世界大戦戦地跡に行き、現地の学生と交流する(慰霊法要)選抜プログラムに参加しました。

 サイパンは「青い空、青い海、白い砂浜のリゾート地」という印象が強いかもしれませんが、そのリゾート地に戦車などが当時のまま残っています。バンザイクリフに行った時は、「何故こんな所から飛び降りる事態になってしまったんだろう?」、ホームステイした時は、「何故ここまで仲良くなれる人たちと、当時の人たちは殺し合っていたのだろう?」と疑問に思いました。

 この経験を元に、「戦争を止める人間になりたい、泣いている人がいたらその人を笑顔にできる人間になりたい。」と思うようになり、国際協力の道に進もうと決めました。

 中学生の時、「国際協力の場で活躍するためには英語が必要だ。」と思っていたのですが、初めて学ぶ英語に躓いてしまいました。苦手克服のために、英語の弁論大会などにも参加しましたが、上手くは行きませんでした。私は発達障害があったという事が最近わかったのですが、どうしても新しい言語を覚えるのが苦手という特徴があります。ですので、自分の努力と結果が見合わない事に悩んでしまいました。

 高校生の時、「このままでは英語のレベルがやばい。人並になるには留学に行くしかない。」と考えましたが、私の家庭では経済的に留学に行けなかったので、猛勉強し、政府が主催している交換留学でカナダに10ヶ月間留学しました。

 私がカナダに行った時は、シリア難民がカナダに沢山申請した年でした。私が行った地域は天然資源が豊富で経済的に豊かだったので、難民を多く受け入れていました。高校の授業で「カナダ政府はこれ以上シリア難民を受け入れるべきか?」というディベートをしました。私のクラスの生徒は皆「もう受け入れるべきではない。」と主張していました。

 私は、難民支援を手放しに「素晴らしいもの」と考えていたので、その反応に大変衝撃を受けました。理由を聞くと、「学校でやってるボランティアの内容のほとんどは、『ホームレスへの食事提供』でしょ?天然資源が取りつくされてきて、経済的に豊かな私たちの地域でもリストラが増加しているのに、政府はホームレス支援じゃなくて、他所から来た難民支援ばかりしている。政府が使う支援金は私たちの税金でしょ?自分たちの福祉のために払っている税金を、自国民のために使わずに何で他所から来た人たちに使われなくちゃいけないの?」と説明してくれました。

 ホストカントリーと難民の関係性に初めて直面し、「難民支援について、しっかりと学ばなければいけない。」と考えるようになりました。そして、難民支援、国際協力などが学べる大学を探し、明治学院大学に辿り着きました。

 また、明学の教育理念が“Do for Others”だと知り、自分が人生で目指していく姿と、大学が求めている人物像が一致している事にも魅力を感じ、明学に入りたい気持ちが強くなりました。

 それから、偶々私の知り合いに平山先生と関わりのある方がいて、平山先生のお話を小さい頃から聞いていたので、「絶対明学国際に入って、平山ゼミに入る。」と思い、受験勉強をしました。

▽力を入れて取り組んでいる活動は何ですか?

 私は、コンゴ民主共和国における性暴力問題について取り組んでいます。具体的には、セミナーを開いたり、先生方の下でフライヤーや「国連マッピングレポート」のまとめ動画を作ったり、学生間では月に1回勉強会を開いています。また、これからもっと活動を広げていきたいと考えています。また、2019年にノーベル平和賞を受賞したデニス・ムクウェゲさん(1995-)が来日した際は、ムクウェゲさんの活動について勉強をしました。

 実際にコンゴの方に会えるわけではないのですが、私の活動を通して日本の友達が、コンゴの現状を知ってくれる人が増える事はすごく嬉しいですね。

 ムクウェゲさんに2019年にお会いした時、この活動を始めたきっかけや、この活動に対する熱意などをお伝えしました。すると、ムクウェゲさんは「あなたの経験を話す事は怖い事だと思うけど、それによって周りの人が『おかしな事だ。』と気付けるし、同じ経験をした人に勇気を与えられるから、これからも『言葉に伴う行動』を続けてほしい。」と言ってくださいました。

 学生の私ができる事は限られていますが、できる限りの事をして、周りの方に少しでも影響を与えられるような活動をしていきたいと思っています。

2019年ムクウェゲ医師が来日された際に行った会食の際の写真

 日本でも最近は、「フェミニズム」や「性教育」についてよく話題になりますが、今でもまだタブー視されていますよね。避妊について十分な知識を持たないまま性行為に及んだり、「性に対して無知な事」がポジティブな評価をされたり、性行為に関する危険性が十分に浸透していないと思います。

 当たり前ですが、人生計画の中に「〇〇歳:性暴力を受ける」なんであるはずないですよね。そのような、予想していなかった性暴力を受けてしまった時、「正しい」対応がどれほどの人ができるのでしょうか?

 実際に性暴力を受けたら、体を洗わず被害を受けたそのままの状態で警察に行かなければいけません。また、家族や学校、友達に言えない人は誰に相談すれば良いのかなど、「性暴力」自体についても日本ではまだ十分に知識が浸透していないように思います。

 そういう部分では、私の活動に対しても十分な理解を得にくいのかなと感じています。

▽活動をなぜ始めたのですか?

 私がこの活動を始めた理由は、私は高校生の時に性暴力を受けたからです。私が性暴力被害を公表すると「あなたにも非があった。」と言われてしまう事がよくあります。この「セカンドレイプ」に対して傷ついたと言うと、「あなたが公で言うからだ。傷つきたくないなら公表しなければいい。」「性暴力被害を使った売名行為?」と言われる事もあります。

 性暴力を受けた事で、「私は一回死んだ。」と思っていますし、その前と見える世界が変わってしまいました。元から自己肯定感が低かった事もあり、大学に入ってからも「性暴力を受けた自分は人よりも『役に立つ行動』をしていなければ、生きる価値が無い人間だ。」と自分の事を責め続け、空回りしていました。

 大学1年生の冬に、東京外語大学で難民映画の上映会に偶々参加し、『女を修理する男』(2015)を初めて見ました。この作品は、鉱物資源獲得のために性暴力被害を受けた女性たちをムクウェゲさんが支援する様子を撮影したドキュメンタリー映画です。

 映画の中で、性暴力を受け子宮摘出手術をして絶望していた女性が、カウンセリングなどを受けて最後に「私も他の人と同じ人間なんだと思いました。生きていればできる事がある。」と言っていて、その言葉を聞いて私は号泣しました。

 私は性暴力を受けた後、残念ながら十分なサポートを受けられず、どうにもできませんでしたが、「情報が得やすい環境にいる中で、自分を嫌い続けても仕方がない。」と思うようになりました。また、地球の裏側とは言え、自分たちのスマホに使う鉱物を取るために性暴力被害を受けてしまう人がいる事実から目を逸らしてはいけないと思いました。だって、自分は間接的な加害者になって、自分と同じ辛い思いをする人を作ってしまっているわけじゃないですか。なので、この性暴力問題の活動を積極的に行おうと思いました。

Share

Follow