【私にとっての国際学部】93K飯島聡子さん

取材日:05/04/2021

▽なぜ国際学部に入ったのですか

地元の高校の学科も国際学科でした。英語を話すこと、外国の文化に触れることが好きで、国際学部がある大学を受験しました。故郷を離れることを決心し、明治学院大学に入学しました。

学部生時代はどのような活動をされていましたか?

1,2年生の時は異郷での生活、大学の雰囲気に慣れるのに精いっぱいでした。

入学して、帰国子女の学生たちが英語を流暢に話す様子に驚きました。その頃、竹尾先生のマイノリティーについての授業があり、とても印象に残ったことを覚えています。それまで地元での学校生活、地域社会に馴染むことが出来ずにいて、大学に入学してからもどこかマイノリティー意識を持ち、孤独を感じている自分がいました。それがその授業でその孤独感をも学問として昇華することができると気づき、この時「大学は今までと違い、自分が突き止めたいものを学べる場だ」と思いました。これがきっかけとなり、先住民族や沖縄、アイヌについてのイベントや、アメリカンインディアンムーブメントのリーダーのデニス・バングスの活動に参加したりするようになりました。その後、インドゼミを専攻し、インドの風習を人権と宗教の面からアプローチし、考察しました。

▽どのように現在のキャリアに至りましたか?

卒業後、自分の理想と現実の違いを思い知らされ、就職活動がうまく行かず、まず緑のふるさと協力隊の村おこしのボランティアに参加しました。村おこしに積極的に取り組む中で、村の閉鎖的な部分を変えていきたいという希望がありましたが、人間関係や活動への取り組みの熱量の差に悩み、半年で退任しました。その後、地元に戻り実家の店の手伝いや英会話教室のアルバイトをする傍ら、結婚をしました。同級生が社会で活躍する様子を見て、子育てをしながら何かしたいと感じ、家庭保育園を始めました。英語を生かしたいという想いで子供向けに英語サークルも始めました。

現在のキャリアはどのような魅力がありますか?

現在は英語教室の主宰と本学国際学部、横浜国際学会事務局の活動をしています。英語教室では生徒それぞれの個性を認め合い、生かせる場所にしたいと思い指導しています。一方でYISAの活動では自分を成長させてくれた国際学部の自由な気風、理念の中で、保護者目線で我が子と同年代の学生を支援することにやりがいを感じています。

社会人になるためにはどのような覚悟が必要ですか?

社会人になると経済的に自由になり、自立して生活するようになります。職場や社会の中で居場所を見つけることは人としてとても大切なことだと思います。夢に挑戦することも大事ですが、最高と思えるものでなくても苦ではないことを見つけ、仕事にやりがいを感じて働けるといいと思います。そのために今、謙虚になって自分に何ができるかを探してほしいです。

あなたにとっての国際学部とは

人生においてかけがえのない貴重な場所です。国際学部の多様性、学問に救われました。平和など抽象的で難しい事柄を一生懸命考え、学べた場所だったと思います。

在学生へのメッセージ

大学は恵まれた環境です。そこでいろいろ挑戦したり、学んだりして将来の自分の生き方を探してほしいです。コロナ禍という逆境の中でも、できることに挑戦して、特別な時代だからこそ内省を深め、社会を広く深く考察し、それを今後の人生の糧にして頑張って欲しいです。

〇飯島聡子

1974年福島県で生まれる。1993年明治学院大学国際学部に入学し、Youngゼミに所属。2年時にミシガン州Hopeカレッジに短期留学。卒業後は緑のふるさと協力隊として長野県王滝村で活動。その後、横浜市戸塚区で英語サークルを立ち上げ、現在English club りとるすたー主宰として幼稚園児から大学生まで約120名の生徒を指導している。2017年より横浜国際学会YISA事務局を務める。

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