【私にとっての国際学部】86K 白鳥和生さん

▼なぜ国際学部を選びましたか?

みなさんが思い描くような崇高な目標を持って国際学部への入学を決めたわけではありません。大学受験当時、「明治学院大学の国際学部に行きたい」という明確な思いはありませんでした。いくつかの大学に合格することが出来ましたが、その中で同郷の島崎藤村と関係していたり、有名人が多くいたりと、身近であった明治学院大学の国際学部への入学を決めました。また、明治学院大学の規模が大きすぎないファミリーライクな雰囲気も決め手の一つでした

▼学生時代はどのような活動をされていましたか?

元々国際学部の学びに興味があった訳ではありませんでしたし、初めは大学になかなか馴染めず友人も出来ませんでした。都会の学校生活に憧れはあったものの、学生の生活態度に違和感を感じがっかりすることもありました。しかしできるだけ多くのことを吸収したいという思いは持っていたため、大学の授業も真面目に受けましたし新聞に掲載されていたセミナーなどにも積極的に参加していました。

また、元々は保守的な考え方をするどちらかというと右翼的な人間でした。当時は、ベルリンの壁が崩壊されたり天安門事件が起きたりと社会的に不安定な時期でした。リベラルな先生が多い明治学院大学の先生方のお話を聞いていく中で、誰1人取り残されない世界に変革していく必要があると今のSDGsに繋がる様な考えを持つようになりました。保守的な考え方から政治的なスタンスに移った事は明治学院で吸収した学びの1つです。これは、新聞記者になる1つの動機になってると思います。

サークルには所属していませんでしたが、教授と一緒に本を読む読書会や「カラバオ」というフィリピンの貧困問題について考える会などに参加していました。

▼どのように現在のキャリアに至りましたか?

  マスコミ関係の職業に興味を持ったきっかけは、ある新聞に明治学院学生に対する苦情の記事が載ったことです。今は学校の近くにバス停がありますが、当時はバス停からも学校が離れていて多くの学生が徒歩か相乗りでタクシーを利用して通学していました。その中で、学生の態度に対して近隣の住民から苦情が来ることがありました。その状況が新聞の社会面に取り上げられたんです。記事は「明治学院大学の学生はうるさい」や「今の若者はけしからん」と言った内容でした。大部分は後者のようなステレオタイプな内容でした。明治学院に通う学生という当事者としてこの記事を見た時、メディアの力や情報の非確実性を認識しました。今まで新聞やニュースで報道されている内容は8割9割事実であると思っていました。この矛盾が不思議で、マスコミに対する興味を持ちました。

 色々勉強して情報や知識を吸収したので、腕試しと思って新聞社を2社受けました。結果、日経新聞に合格することができました。

 入社してからは、約20年間いくつかセクションを移動しながら記者としてスーパー、電子商取引や経済産業省など流通関係を中心に取材をしてきました。2014年に、編集局から読者調査を行う部署に移動しました。そのタイミングで時間ができたので、通信制の大学院への入学や大学の非常近講師としてマーケティングの講義を担当するなど、新しいことにも挑戦しています。

▼今までのキャリアの魅力や大変なこと何ですか?

  新聞記者は、名刺一枚で誰にでも会えるダイナミックな仕事です。会おうと思えば天皇陛下にも取材ができます。さらに、自分の仕事が新聞やweb媒体のように形として残ることも魅力です。形あるものとして残ることで、達成感が日々感じられます。私も、自分の記事をくり抜いてスクラップしていました。また、忙しい仕事ではありますが、働きに見合った報酬が貰えるというのも魅力かもしれません。

 しかし、体力的にはとても大変な仕事です。タイムカードで朝9時から17時までと時間が区切られている職業ではないので、ニュースが入れば昼も夜も関係ありません。

特に、私は仕事を自分で抱え込んでしまうタイプだったので、残業時間が月に160時間を超えた時もありました。ただ規則的な仕事でない分、ある程度自分で調節することができます。働き方改革も行われて、昔と比べると女性も働ける環境が出来つつあります。

また、ペンの威力を正しく理解することが必須になります。メディアの威力はとても大きく、人を死にいたらしめることも出来てしまいます。社会の不正を暴くためにはその情報源となる人から正確に情報を取ってその人を守る必要があります。その根本的な情報源を簡単に出してしまうとその人が社会からの制裁を受ける可能性もあります。取材先との信頼関係を作り、取材の限度を見極めることが必要になります。

▼記者という職業を続ける中で家族の存在

 記者として仕事をしている時は特に忙しく、夕飯を食べたことはなかったですし、土日は休みであれば寝ていました。だから家族はほとんど省みない形でした。しかし体を壊した時に支えになってくれたのも家族でした。今、子供はいないので奥さんとはずっと友達のような関係です。私はどちらかというとアクセル踏んで勝手なことばかりやるタイプですが、奥さんは適度にブレーキをかけてくれる存在です。明治学院にも「Do for others」というキャッチコピーがありますよね。人に何かすれば必ず戻ってきます。今は特にコロナの時代だからこそ、助けあうことの大切さを感じます。

▼社会人になるための覚悟

 社会人になって3年は我慢が必要だと思います。マルコム・グラッドウェルが提唱する1万時間の法則というものがあります。これは、ある特定の分野の専門家と言われる人は必ず誰でも1万時間勉強したり訓練したり練習したりしているという経験則から導き出された法則です。1万時間というのが大体3年8ヶ月くらいです。

最初の3年間は社会に対する影響力はないものだと考えて下さい。社会人になるのは資格も何も要りません。しかし急に社会に放り出されてしまうから人は困ってしまうのです。だからこそ、最初の3年は頑張って基礎を身につけてください。3年、4年経てば自己効力感や自己肯定感を強く持って立ち振る舞う事が出来ると思います。 

▼あなたにとっての国際学部とは?

  「学びの出発点」です。国際学部は色々なことを学べる機会がある場所でした。入学のきっかけは積極的なものではありませんでしたが、学びを進める中で、国際学部で大変良かったと感じました。最初の質問で違和感を感じたとお話しましたが、その違和感の中でも学び続ける姿勢を持つことを大事にしてきました。教訓めいた話になりますが、大学を含めて20代までの学びは、40代で使い果たしてしまうと言われています。社会でいうシニアを乗り越えていくためには、40代から学び直すことが必要です。明治学院で違和感の中でも学び続ける姿勢を持つことができたからこそ、大人になって大学院に通い始めたり非常勤講師をしたり、学び続ける人生を送るきっかけになったと思っています。

▼学生へのメッセージ

 思いっきり泣いたり、思いっきり笑ったり、思いっきり怒ったり、自分の感情を積極的に表に出していってください。大人になると自分の感情を抑制しなければならないので、感情を前面に出すことは、学生時代だからこそ出来ることだと思います。そしてこれは、就職活動にも活きてくる経験になります。就職活動を進めていく中で「学生時代に何をやってきたか」について問われることが多くあると思います。こうしたエピソードは、何かに「思いっきり」取り組んだ内容でないと聞き手には伝わらないありきたりなものになってしまいます。学生の間に、自分の言葉でその経験を語れるくらい強く心に残る経験を持てるようにして下さい。

そしてもう1つ、コロナで大規模な大衆居酒屋が経営困難に陥っています。その一方で、小規模でも強く生き残っているお店もある。この違いは、お店が自分の存在価値や存在意義を、軸として明確に持っているかだと思います。その軸を明確に示しているお店にはその価値に賛同する人たちがお客さんとして集まってお店を支えてくれる。例えば、バングラディシュで始まったマザーハウスというブランドがあります。マザーハウスは発展途上国における就業支援や教育支援をするという軸を明確に社会に示しています。マザーハウスを良いブランドだと思う理由には、商品を買えば社会貢献が出来ている自分を感じられるからというのもあると思います。

景気が悪くなる可能性が強い今の時代において、限られたお財布の中で自分がどう社会に貢献できるのか、どんな意味を持った活動が出来るのか等、お金の遣い方が変わってくると思っています。そのためお金を使ってもらうためにはその企業や個人がきちんと自分の軸を明確にしていくことが1つのポイントです。

 逆にいうと、自分の成長を感じられる消費をするためには求めるこちら側も自分の軸を持つ必要があります。就職活動をする中で、就活の軸を考えますよね。就活のみでなく、人生の軸を考えるんです。バックキャスティングという言葉があります。バックキャスティングとは、あるべき姿やありたい姿をビジョナリーに描いてそこから逆算して何をするかという考えです。30年後の自分を考えて20年後はこうなっている、では今何をするべきかという様に考えていきます。就活に留まらず将来どんな自分になっていたいかを考える中で、自分の軸を見つけていけると思います。

〇白鳥和生

1986年に一期生として明治学院大学国際学部に入学。卒業後は記者として日経新聞に就職。2020年には大学院を卒業し博士号を取得。

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