【私にとっての国際学部】 04KS川又若菜さん

  取材日:2022/2/9 

▽なぜ国際学部を選びましたか?

元々海外の文化に興味があったことや、中学校時代のアメリカでのホームステイがきっかけで、様々な分野の学問を国際学部で学び、広い視野で世界を見る力を養いたいと思い、国際学部を選択しました。

▽学部生時代はどのような活動をされていましたか?

イスラム教を研究されている大川先生のゼミに所属し、朝鮮半島の近代史を研究されている秋月先生、比較文化の竹尾先生、ジェンダーを研究されている合場先生、平和学の高原先生、作家の高橋源一郎先生など今でも覚えている面白い先生方の授業から刺激を受けていたことが印象に残っています。

授業以外にもボランティアサークルの活動や戸塚で行われるキャンドルナイトのお手伝いなどをしていました。学外では高校時代から林業の会社を経営する父親の手伝いとして、森林保全のボランティアをしていました。

▽どのように現在のキャリアに至りましたか?

卒業後は都内の会社に就職をし、しばらくそこで働いていました。転機は2011年で、(若い頃)盲学校の教師をしていた父親から「『視覚障がい者のための手でみる博物館』の館長を引き受けないか」と軽く声掛けされたことがきっかけです。

その背景には、父親の盲学校教師時代の全盲の同僚が、1981年から盛岡市の自宅に作った博物館を、病気のために閉館するということでした。しかし、地域の方に限らず全国から「やめないでほしい」「閉館するのはもったいない」などと意見が寄せられたため、父親が地元である岩手県に戻り、同僚から手でみる博物館を引き継ぐことを決意しました。当時「自分にしかできなない事ってあるのかな…」「仕事が安定しているけれど、このままでいいのかな…」などとモヤモヤしながら働いていたところに、予期せずこの話が舞い込んだので、興味本位で館長を引き受けることを決めました。その後、実際に博物館へ足を運び、前館長の視覚障がい者に対する情熱や、博物館に対する思いを知るうちに、「この人のように熱心に取り組みたい」という気持ちが芽生えたので、仕事を退職し、本格的に館長の仕事に挑戦することにしました。

『視覚障がい者のための手でみる博物館』館内の展示物

 

文化的な建物やサメの模型を触察できる

▽現在のキャリアの大変なことは何ですか?

「百聞は一見に如かず」という言葉がありますが、視覚障がい者の方にとっては「百聞は一触に如かず」であり、触察することがこの博物館のテーマでもあります。来館者に展示物の説明をしたり、館内の案内をしたりすることに難しさを感じ、館長の仕事に自信を持てるようになるまでは、5、6年掛かったと思います。

仕事を継続していく中で、博物館研修のコーチや講演の講師、「月刊視覚障害」という専門誌への連載を担当するようになり、周囲に自分がやっていることが認められたような気がしています。大変なことも乗り越えて今まで続けてきた結果がでたのでしょうか。

そして常にインプットとアウトプットが要求されるので、謙虚に学び続けなければならないことが大変です。この仕事は福祉・教育の面を持つと同時に接客業でもあり、それらに対する対応力も必要です。さらに来館者が一片通りの説明を聞くだけだと単調でつまらないので、飽きずに最後まで興味を引くような説明をしたり、ニーズを考えたりして来館者を満足させる工夫をし続けています。

▽現在のキャリアの魅力は何ですか?

この仕事の魅力は「人が新しい知識を得る瞬間に立ち会える」ことです。視覚障がい者の方の中には、物の知識はあってもそれ自体を見たことがないために、想像で止まっている人もいます。例えば、カタツムリの名前や特徴を知っていても、形を知らない、または記憶が曖昧の方もいます。しかし生きているカタツムリを触るのはハードルが高いため、博物館で模型を触ってもらい、説明をします。そうすると「カタツムリってこういう形をしているのか!」「触覚はここにあるのか!」と、驚いたり、喜んだりして、その人が初めてカタツムリを理解した瞬間を共にできることは魅力的だと思います。

さらに福祉や教育関係者、研究者など、サラリーマンをしていたら出会えなかったであろう人と出会えることもこの仕事だから出来たことだと思います。「視覚障がい者の触察について教えてもらいたい」と博物館に訪れる他分野の方と見識を深められるのは、自分が人とは違う珍しい仕事をしているからこそできる経験だと思います。

そして自分の仕事が誰かの為に役立っていると実感できることも、やりがいの一つです。仕事をしていると来館者の「来てよかった」「有益だった」と満足している気持ちが伝わってきて、それは自分自身の成長を促してくれるものでもあります。

何も分からず飛び込んだ世界ですが、ここまで10年間諦めずにやってきてよかったと思います。

孔雀の模型を触察する様子

▽仕事をする上で大切にしていることは何ですか?

「自分が主体でしていること、好きでしていることが誰かにとっても役立っている」という意識です。仕事をする目的を「誰かの役に立ちたいから」や「この仕事は誰かの役に立つものだから」と設定してしまうと、自分自身が求めているやりがいを忘れてしまいます。だから、私は自分自身を犠牲にしてまで誰かの役に立とうとしなくてもいいと考えています。自分の仕事が結果的に誰かの役に立っていると考えると、自分が疲れずに仕事をできると思います。「お互いにとっていい」が理想ですね。

そして自分には出来ないだろうと思うことを引き受けてみることは、自分の成長にも繋がります。例えば私の場合、シンポジウムや講演の講師を担当する際に、仕事をありがたいと思う反面「私に務まるのかな」と不安になりますが、自分には無理だと思うことも挑戦するようにしています。

 

▽社会人になるための覚悟は何ですか?

自分の限界を知り、これ以上は無理だと思ったらストップできる覚悟だと思います。社会人になったばかりの時は、仕事と生活のバランスに慣れることが難しいです。

反対に、慣れた後は繰り返しなので惰性でこなせるようになります。社会はそのようにして成り立っていますが、これから仕事などで無理難題や自分の信念に合わないことに衝突するかもしれません。その時に相談したりN Oと言える勇気を持つこと。相反するようですが、「成長するための挑戦」と「自分を守る」というバランス力を身につける事が大切です。

学生の時は、友達のように気の合う人だけといることが出来ますが、社会に出ると、不条理が多い上、色々な人と付き合っていかないといけません。私が東京で働いていた時も、同僚や上司、後輩など人間関係は存在し、仕事だけをしていればいいわけではない、面倒な人間関係はどこでも避けられないんだと絶望しました。社会に属している以上、当たり前のことですが当時は衝撃を受けました。

国際学部の学生は世の中に対する疑問、自分の意志を持っている人が多い印象なので、不条理に耐えられないこともあり得ると思います。その際に自分を犠牲にせず、うまく線引きをし、周囲とうまくやりながら心の中で意志を熱く燃やしていてほしいです。その中で自分自身を顧みることもあるかと思います。世界は広く、様々な考えが存在するので、これがすべてと思い込まず、転職したり、休んだり、逃げてもいいと思います。仕事を辞めてもいいという覚悟を持つことは難しいですが、自分を大切にする上で必要な覚悟であると思います。余裕があれば、世の中の働きたくても働けない人にも目を向けてみてください。

▽あなたにとって国際学部とは?

大学時代にユニークな国際学部の先生方に出会い、先生方の教えを受けられたことは宝だと思っています。卒業後の現在も、連絡を取り合っている先生方がいます。

そして海外志向、環境や政治問題に興味のある学生、それに意欲のある友達と出会えたことは国際学部だからできたことだと思います。

これまでの自分の生活では出会わなかった人に会えたこと、幅広い学問を学べたこと、興味深い先生の授業から刺激をもらえたことも貴重な体験です。国際学部は4年間戸塚に通学すること、先生と学生の距離が近いことが他学部と違う所であり、魅力でもあります。学生たちもそんな意識があると思います。チームのような一体感がある、そんな面白いコミュニティで学生時代を過ごせて良かったです。

▽在学生へメッセージ

自分が何を学びたいのか専門性が決まらない人にも対応できるのが国際学部だと思います。

入学してから卒業するまで大学で何を得られるかは自分次第で変わるので、自力で何か見つけると良いと思います。自分が専攻した学問、得た知識が生きるのはすぐではなく、卒業後、数年後かもしれません。学んだことを就職先で生かせないこともあり得ます。

しかし、国際学部で学んだことは後から役に立ち、自分の人生を豊かにしてくれます。私たちは目先のこと考えがちで、何を学んできたのだろうとがっかりしてしまいます。国際学部では主体的に学べる環境や人生で役立つ知識を得ることが出来るし、複雑な社会を見る力を付けられます。

コロナウイルスによる制約がある学生生活ですが、希望を持って学生生活を送ってください。

〇川又若菜

2004年に明治学院大学国際学部に入学。学部生時代は大川ゼミに所属。卒業後は都内の会社に就職。現在は岩手県盛岡市で「視覚障がい者のための手でみる博物館」の館長を務める。

                                    

Share

Follow