【研究内容紹介】岩村英之先生

現在の研究分野は何ですか?

 現在、ヨーロッパではユーロ(€)という通貨が流通していますが、昔ヨーロッパの国々では、ドイツはマルク、フランスはフラン、イタリアはリラなど、それぞれ別の通貨が流通していました。ですが、1999年1月1日からそれぞれの国の通貨を廃止して、ユーロという新しい通貨を、11ヶ国(ドイツ・フランス・イタリア・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク・アイルランド・スペイン・ポルトガル・オーストリア・フィンランド)共同で使うようになりました。そのような現象のことを「通貨統合」(Monetary Integration, Monetary Unification)と言います。私はそれについて研究しているのですが、通貨統合って少し変わった話の様に思えませんか。

 例えば、自分たちの身に置き換えて、来年の1月1日から日本が円という通貨を廃止して、隣国の韓国や中国と新しい同じ通貨を使うようになると想像すると、そんなことが現実にあり得るのかと、不思議な感じがしますよね。韓国に旅行する人は多いと思いますが、その時に、円をウォンに変える必要がない、逆に韓国から日本に来る時も、そのまま同じお金が使えるようになるということです。日本人にとってそれはあまりイメージが湧かないかも知れませんが、ヨーロッパではそれがもう19年前から始まっています。開始後、ギリシアや東欧の国など、自分の国の通貨を廃止してユーロを使う国が徐々に増えて、現在は25ヶ国で使用されています。僕らは基本的に一つの国が一つの通貨を持つのを当たり前だと思っているわけですが、ヨーロッパはそうではなくなった。ヨーロッパがどういう理由で通貨統合したのか、言い換えれば、通貨統合にはどのようなメリット・デメリットがあるのかが、私の大きな研究テーマです。

 ところで、通貨統合のメリット・デメリットを考えることは、貨幣とは何であるかを考えることにも繋がってきます。貨幣が存在する一つの理由として、物の交換をスムーズに行う助けになるということが挙げられます。例えば、パン屋さんはパンだけを食べて生きていくわけではありません。魚が食べたくなるときもあるでしょう。そんな時は、自分のパンを魚屋さんの魚と交換しようとします。ところで、その交換が成立するためには、魚屋さんがパンを欲しがっているということが必要です。魚屋さんに、「パンは食べません。和食派なんです」と言われてしまったら、交換ができません。そんなとき、貨幣があれば話は大きく変わります。パン屋さんは、自分の持っている貨幣と魚を交換すればよいのです。魚屋さんは魚と交換したお金で、パンではない自分の好きなもの、例えば果物などが買えるので、この交換に応じるでしょう。つまり、パン屋さんは相手がパンを欲しがっていなくても、魚に交換してもらうことができます。もしお金がないと、お互いに持っているものを欲しがっている時にしか交換は成立しないんですよね。だから、実はお金がなかったら、自分で作っているものしか食べられない生活になってしまうか、ものすごい時間と労力をかけて交換相手を探すか、どちらかかになってしまうため、いずれにしても大変不便な生活になってしまいます。

 このように考えると、なるべく多くの人が同じお金を使っている方が、便利だと思いませんか?たとえ貨幣があったとしても、パン屋さんと魚屋さんが別の異なる貨幣を使っていたら、また厄介な話になります。この場合、パン屋さんは、まず自分の使っているお金を魚屋さんの使っているお金に交換し、次にその魚屋さんの使っているお金で魚を買うというように、さらにワンステップ入ってきます。せっかくお金を使うことで楽になった交換が、異なるお金を使うことによって、また面倒になります。自分の使っているお金を欲しがっていて、自分が欲しいお金を持っている人を探さなければならないわけです。これと同じことが、円とドルの間にも起こります。日本は円を使っていて、アメリカはドルを使っているため、アメリカから物を買うときは、基本的に円でドルを買って、その買ったドルでアメリカに支払います。その上、為替レートというものがあるため、1ドルを何円で買えるかは日々変わっています。実際はそのような面倒さも加わります。交換をスムーズにするための手段としてお金を考えた時、なるべく多くの人が同じお金を使っていた方が、はるかに効率的なのです。しかし、実際のほとんどの国は、自分の国の範囲だけで同じお金を使っています。

 このように、通貨統合で日本とアメリカが同じお金を使ったら交換が楽だろうと考えられるのに、ほとんどの国が自分の国境の範囲内だけで通用する通貨を持っていて、ヨーロッパのように国境を越えて通用する、共同の通貨を使っている地域は、全く無いわけではないですが、あれだけ大きな規模で行っているのはヨーロッパしかないのです。そして、これはどうしてなのか、というのを考えています。つまり、ヨーロッパは他の国や地域と違って、自分たちの国境を越えて使える通貨を採用して便利になる一方、そうでない国があるのはどうしてかということを考えています。大まかに言うとこのような研究をしています。

研究分野の魅力は何ですか?

 研究者の世界は、純粋に面白いからやっているという人がほとんどだと思います。だから、魅力と言われると「面白いから」としか言いようがない所もあるのですが、ご質問を少し読み替えてみます。皆さんが通貨統合に興味を持っているわけではないと思うので、通貨統合の研究が、皆さんが興味を持っているような、通貨統合の研究以外の、どのような分野や方向に広げられるか、というところで考えてみましょう。

 10年くらい前にアジアの通貨統合の話が盛り上がった時があり、僕のゼミでもある学生がアジアの通貨統合について卒論を書きました。そして、アジアの国々は、この20年くらいで経済的結びつきがとても強くなっています。日本が多く貿易をしている国は、アメリカやヨーロッパの国々のイメージがあるかもしれませんが、一番大きなシェアを占めているのは中国で、25%くらいです。それに、韓国、タイ、インドネシア、マレーシアなどを入れると、ほぼ40%になります。そこまで強い結びつきがあって、製品・サービスの交換をしているのなら、同じお金を使った方が便利になるはずです。では、これらの国々との貿易取引が実際にどのお金を使って決済されているかというと、平成30年上半期の日本からアジアへの輸出取引は約46%が円で決済されていました。しかし、円よりも多い約50%が米ドルで決済されています。日本は円、中国は元、韓国はウォン、インドネシアはルピア、タイはバーツなどを使っていて、どこもドルの国じゃないのに、なぜかドルで取引しています。逆に、アジアから日本への輸入取引のうち、約70%は米ドルで決済されているのです。

 このように考えると、共通のお金で取引したほうが、効率的なのではないかと思いますよね。おそらく、将来的に、アジアの国々との結びつきがより強くなり、また日本のGDPなど経済力が落ちてくると、同じお金を使った方が便利じゃないかというくらい、日本の相対的なポジションが低下する可能性があります。そうなった時に、ほとんど唯一の歴史的な事例であるヨーロッパの通貨統合の話が、アジアの通貨統合を考えるときに役に立ちます。ヨーロッパの通貨統合の研究は、我々アジアに住む人々にとって大きな意味があるのではないでしょうか。

この研究分野を志した理由は何ですか?

 僕はもともと上智大学の文学部英文学科に入学したのですが、途中から経済に興味をもって、英文学科を卒業した後、同じ大学の経済学部の3年次に学士入学して、卒業しました。学部生時代に経済学に興味を持ったきっかけは、為替レートでした。僕が学部生だった90年代前半は為替レートが激しく変動した時期で、その時の日本はエレクトロニクス製品を作って盛んに輸出していました。そのため、為替レートが大きく変動してしまうと、例えばドルで取引した場合、同じ100ドルでも、1ドル100円なのか、80円なのかで収入は大きく変わってしまいます。90年代前半は為替レートがものすごく激しく変動し、1ドル78-79円あたりまで下がったりして、日本経済が為替レートに大きく翻弄された時期でした。それを目の当たりにして、「為替レートはどうしてこんなに変動するのだろう」とか、「変動することで、日本はどのような影響を受けるのだろう」、あるいは「変動することは良いことなのだろうか」などと考えるようになりました。

 ところで、固定相場制という、為替レートが変動しないシステムがあります。固定相場制は、戦後の1945年から1973年まで世界的に採用されていたシステムで、その頃円とドルの為替レートは1ドル360円に固定されていました。なので、「なぜ固定相場制にしないのだろう」などと考えたりもしました。そのようなことを考えて、経済学を勉強するようになり、大学院にも行きました。1996年頃に大学院で、「今ヨーロッパでユーロという取り組みがなされていて、これが研究のヒントになるかもしれないから勉強してみたらどうか」と、当時指導していただいていた河合正弘(1947年生、経済学者、元アジア開発銀行研究所所長、東大名誉教授)先生に教えていただいて、通貨統合の研究に足を踏み入れました。だから、通貨統合は、最初に考えていた研究の中で、一つのヒントをくれるかもしれないから、勉強をしてみようくらいに考えていたのです。ですが、今はそれだけでもうお腹がいっぱいというくらい、この分野の奥深さに魅了されています。