【研究内容紹介】久保田浩先生

▽現在の研究分野は何ですか?

 わたしの研究分野は「比較宗教学」と呼ばれるもので、宗教現象を広く考察し、それがどのような特徴をもつのかを分析するものです。

 例えば、キリスト教や仏教、イスラームに根ざした文化現象をはじめ、○○教と呼ばれず、通常は「宗教」とはみなされていないような習俗(年中行事や通過儀礼など)や、社会に普及している価値観などの中にも宗教的な要素が見いだされます。それらを総体的にとらえて「宗教」とは一体何なのかを研究しています。

▽研究分野の魅力は何ですか?

 日常生活や街中に隠れている宗教現象があります。例えばマンションの敷地の一角に祠(ほこら)が残されていたり、道路の脇にお地蔵さんが祀られていたりしますね。なぜそれが現在まで残っているのかと考えたときに、宅地造成や道路の敷設の際にそれを取り除いてしまうことへの抵抗感という形で、伝統の中で育まれた宗教意識が近代社会のただ中にも現れていると言えます。

 他方でこれらの例は、宗教的であるとは自覚されていない社会において、宗教的施設とも言えるそうした祠やお地蔵さんを維持し続けている人々(そしてこの人々は自分たちの行為が宗教的であるとは通常理解していません)がいるということも示しています。

 このように、普段は「宗教」とは考えられていない文化的な諸現象を改めて見直すことによって、常識的で固定化された見方を打ち破る新たな発見ができると思います。

 また、コミュニズムやナチズム、ファシズムなどのマクロな政治システムや政治運動も、基本的な点では伝統的に宗教と呼ばれている制度や組織と構造的に似ていることがあります。それらは「政治宗教」と呼ばれることもありますが、「世俗的」であると理解されているものの中に、必ずしも世俗的とばかりは言い切れない要素を見いだすことができます。

 このように、道路の脇のお地蔵さんもファシズムも、習俗や政治現象として理解されていたものを改めて別の観点から眺めてみることで、今まで気づかなかった日常生活や社会に対する新たな気づきをもたらしてくれる、それが宗教学のひとつの魅力だと思います。

▽この研究を志した理由は何ですか?

 宗教学は広範な領域を扱う学問ですが、その中でのわたし自身の研究領域は、ヨーロッパ近代(とりわけ19世紀初めからから20世紀半ば)の宗教史です。特にドイツを中心とした中央ヨーロッパの近代的宗教現象について研究しています。

 しかし、最初からことさらドイツやヨーロッパに関心があった訳ではありません。大学に入学したての頃、授業の中で、宗教的(とは限りませんが)な理想を抱いている人々が集団生活をしながら、理想的な共同体を作ろうとしている「コミューン」という動きがあることを聞きました。

 コミューンにはいろいろな形態があり、明瞭に宗教的な背景を持った共同社会を目指すものから、都市部を離れて田舎で有機農法に基づいた自給自足の生活を営むものまで様々です。

 現在でもいくつか残っているコミューンがあります。例えば、武者小路実篤が創った、農業を主体とした自給自足を目指す「新しき村」(埼玉県入間郡毛呂山町。ちなみに、ここで作られた椎茸や鶏卵などは外部に向けても販売されています)や、京都にある「一燈園」(京都市山科区。大自然への感謝の気持ちに基づいて共生するという宗教的な理念を抱いている人々のコミューン。お便所のお掃除をさせてくださいといきなり訪れてくることで有名かもしれません)などに関心をもつようになりました。

 そして、理想的な共同体をつくろうという動きが当時、国内外のいろいろな地域で起こっていると聞き、その過程で、イスラエル共和国各地にある、集団農場を核として創り上げられた共同社会である「キブツ」に特に興味をもつようになりました。

 19世紀半ばからヨーロッパではユダヤ人差別が新たに激しさを増していきますが、そこで新しくユダヤ人の国を作ろうという「シオニズム」と呼ばれる動きが生まれてきました。それは、ヨーロッパ在住のユダヤ人のパレスチナへの入植を促進していくことになりますが、そうした移住の波のモデルケースともなったのが、19世紀初頭に始まったキブツという自給自足の共同体建設の実験でした。

 イスラエルの各地には、キブツを中心として発展していった街がいくつもあります。学部3、4年生の夏休みに北イスラエルのキブツで生活しました。そこには共同体形成に興味をもつ人々が特にヨーロッパから、キブツの活動とそこでの生活を体験し、学ぶために来ていて、わたし自身もキブツという実験を肌で経験し、多くを学ぶことができました。

 しかし他方で、理想的な共同体をつくろう、とりわけ宗教的に高邁で高尚な理念を抱いて、差異を超えてみんな仲良く共存しようという目的でコミューンを創ろうとするときに、分派や内紛が起こるのは決して珍しくありません。そうしたコミューンが急進的になった結果、数多くの悲劇が生まれてきたことを人類の歴史は教えてくれます。

 自分の経験や調査の過程で、わたしはコミューン運動一般を高く評価するようになった一方で、(宗教的であろうがなかろうが)極めて高邁な理念を抱いて共生社会を創っていこうという実践の中には、その理念とは正反対の動きが現れざるを得ないことを認識するようになり、とりわけ宗教的理念に基づく共同体形成のもつ排除のメカニズムに注目するようになりました。

 こうした経緯で、ヨーロッパの現状やその歴史を学んでいくうちに、ナチズムに代表される反ユダヤ主義とヨーロッパにおけるキリスト教の長い歴史との間の不可分な関係を主に研究するようになりました。

 ヨーロッパやロシアの歴史において、隣人愛を説き、平和共存を説くキリスト教徒が、同時に神の名においてユダヤ人を排除し、場合によっては虐殺したり、村を焼き払ったりといった暴力行為を行ってきました。もちろんこれはキリスト教に限ったことではなく、そういった排除のメカニズム、排除の思想といったものは、あらゆる宗教に、そしてあらゆるイデオロギーに共通するものです。

 ですが、宗教がもつ排除の構造に関するこうした研究の方向性は、もう一つ別の問題関心とも繋がっていました。それは、社会において宗教が異質なもの、あるいは社会の常識に合わないもの、「怪しい」「危ない」「怖い」ものとして排除されてしまうという事態に対する疑問でした。

 例えば、オウム真理教が1995年の地下鉄サリン事件に至る過程で行ったいくつかの行為は、当然犯罪として処罰の対象となるべきものですが、その後オウム真理教の後継団体の信者や信者グループに対して、社会はどのような眼差しを向けてきたでしょうか。9・11以来、社会はイスラームに対してどのようなステレオタイプを形成してきたでしょうか。過去の出来事でいえば、日本社会は第二次世界大戦が終わるまで、キリスト教をどのように処遇してきたでしょうか(ちなみにこの問題は、明治学院の歴史とも密接に関係しています)。

 つまり、一方では、宗教が内部の論理に基づき他者を生み出して排除するという傾向が見られます。他方、宗教そのものが社会によって排除されるという動きも見られます。こうしてわたしにとって、「宗教と排除」、つまり、宗教が排除すること、そして宗教が排除されること、が研究のテーマになっていきました。