【研究内容紹介】大川玲子先生

現在の研究分野は何ですか?

 明治学院大学の授業では「イスラーム教文化論」「西アジア地域研究」を担当しています。そして、私の研究テーマはイスラーム教です。イスラーム教の思想文化が専門になります。特に、イスラームの聖典のクルアーンが狭い意味で私の専門で、ずっと研究しています。授業では、イスラーム教の文化全般を扱い、断食や巡礼などから、最近のイスラーム教徒によるテロの背景なども取り扱っています。

研究分野の魅力は何ですか?

 あまり日本で研究をする人がいないという事が、逆に言えば魅力といいますか、多くの方に変わった事を研究していると思われます。変わってると思われるという事や、日本で研究している人が少ないという事は、イスラーム教は、日本の伝統的な文化と、とても離れた所にある文化であるという事です。

 例えば日本人にとって、ヨーロッパやアメリカの文化は、ある程度の情報があり、現地に行く事もあまり難しくないので、知ってる人が多いと思います。ですが、イスラーム教の文化や宗教は、本当に縁がありません。

 加えて、神についての考え方は、イスラーム教は日本の対極にあります。イスラーム教の神様は唯一であるのに対して、日本の神様は沢山いるイメージです。つまり、文化の縁遠さや、対極の宗教観などが原因で、イスラーム教は理解しがたいとよく思われているわけです。

 このように、日本から遠いものを研究すると、逆に日本人の特徴がはっきりと見えてくるという面白さがあります。例えば、先ほども言ったように、普段多くの日本人はあまり神様の事を考えません。考える時は、受験前や初詣、子供が生まれた時などに神社に行く時、お葬式をお寺のお坊さんに頼む時、結婚式を教会のチャペルで行う時などです。

 このように、多くの日本人は様々な神様をなんとなく受け入れ、自分の人生の中で、お願いしたい時だけ神社や、お寺、教会に行きます。つまり、神様を信じていないわけでもなく、否定してるわけでもなく、ただ、神様の事をあまり深く考えていない人が多いという事です。ある意味で、気楽に神様と付き合っていると言えます。

 一方で、イスラーム教徒の特に真面目な人たちは、毎日クルアーンを読み、1日5回礼拝や、断食もします。もちろん、お酒を飲む人もいれば、礼拝はできる時だけ行うという人もいます。このように、イスラーム教徒の中でも信仰度合は様々ですが、やはり誰もが唯一の神の事は信じています。そこが日本との決定的な違いで、このような神様への信仰の考え方の違いが、日本の生活様式とイスラーム教徒の生活様式の違いに表れます。

 また、彼らの方が神様を強く崇拝し、絶対的な存在と認識しているので、人間ができる事には限界あるとみなします。そのため、「最後は神様がそのように決められたんだから」と考えるので、中東などでは「まあまあ、電車が遅れる事もあるだろう」、「まあまあ、渋滞で約束を守れない事もあるだろう」と思って、人や自分の失敗にも割と寛容になれます。

 一方で日本人は、人の失敗や自分の失敗にも厳しかったり、並ぶ順番を守られないと腹が立ったりしますよね。日本人にとって、神様が絶対的な存在ではないため、人間の間だけで話が完結します。つまり、人間がしっかりしなければいけないと考えるため、人間に対して厳しくなり、お互いに冷たく接する社会になりがちだと言えます。もちろん、人間に厳しい分、治安が良く、国のシステムが比較的上手く動くところなどはとても良い面です。

 このように、研究していると、日本とイスラームの違いが、背景にある宗教的な感覚に大きな影響を受けている事が分かる事が、魅力の1つだと思います。

今後の研究目標は何ですか?

 私は聖典のクルアーンの研究をずっと行ってきたわけですが、特に関心があるテーマは、イスラーム教徒の人が、どのようにクルアーンを解釈しているのかという事です。クルアーンは、日本だと聖徳太子の時代の本なので、古い言葉で書かれています。私たちが古文を読む時に、なんとなく、誰が何をしたのかを理解できたとしても、細かい部分が分からないように、イスラーム教徒にとっても、分かりにくい内容です。

 そのため、内容の説明や、現代的な解釈も必要になり、様々な解釈者が出てきます。例えば、テロ行為などを肯定する人は、「異教徒は殺していい」という過激な解釈をします。しかし一方で、「異教徒との平和共存を主張している」という解釈もあり、両極端な解釈が存在します。

 このような状況の中で、今、特に関心があるのは、平和的な解釈が今後さらに広まっていく可能性についてです。どのようにすれば古い聖典を、現代的な平和や共存などの方向に解釈できるのかについてが、目下の研究課題なのです。