【研究内容紹介】森あおい先生

▽現在の研究分野は何ですか?

 私は、トニ・モリスン(1931‐2019)という、今年(取材日:2019年4月)88歳の現役の作家を研究対象にしています。彼女は、1993年にノーベル文学賞を受賞しました。黒人女性として初めてノーベル賞をとった作家なので、日本でもとても注目され続けているのですが、私が彼女の作品に出会ったのはアメリカの大学に留学をしていた1980年代前半のことでした。その頃、日本で黒人女性作家を研究対象として扱っている人はほとんどいませんでした。私の専攻はアメリカ文学でしたが、黒人女性の作家の研究は授業で扱ったことがありませんでした。

 アメリカの大学院に留学して、初めて彼女の作品を読んで驚いたというか、当時の私たちが想像できるような内容ではありませんでした。文学作品では、主人公がいてその人に光が当たっているという印象がありますよね。ですが、モリスンの作品は全く逆でした。『青い眼がほしい』(1970)は、黒人の少女が父親にレイプされ精神が崩壊し、結果的に父親が家に火をつけ、家族がバラバラになってしまうという物語でした。なぜそういった悲惨な作品を書くのかと疑問に思ったことから、モリスンについての研究が始まりました。

 奴隷制の時代の人種差別意識は、アメリカにずっと蔓延っています。2008年にオバマ(1961‐)が大統領になり、人々はポストレイシャル(脱人種主義)を期待しましたが、逆にその反動で2016年にトランプ(1946‐)が大統領になりました。このように、アメリカでは人種意識が深く社会に影響を与えています。しかしながら、文化人類学的、生物学的に見れば人種は存在しません。人種を定義する科学的な根拠はありませんが、人種という概念はあります。この違いが分かりますか?具体的には、科学的な根拠に基づいて「あなたは黒人です、白人です」とは言えません。例えば、オバマの父親はケニア出身、母親は白人でネイティブアメリカンの血も入っています。すると、彼の人種は何かという事になってきます。けれども、人間が作り出した人種という概念によって人種差別は起こります。何がそういうものを作り出すのかという問いから今の研究分野に興味を持ちました。私が全く知らない世界の事だったのですが、差別の構造は今の私たちのメンタリティに大きな影響を与えていますよね。特にトニ・モリスンの場合は黒人であり女性という、言ってみれば社会的に二重の差別を受ける状況に置かれているのですが、非常にパワフルでどんな状況にあってもマイナスをプラスに変えていく所に彼女の魅力を感じて研究対象にしました。

▽研究分野の魅力は何ですか?

 知らない世界に誘ってくれるところです。また、そこの知らない世界でパワーの源のようなものを発掘できる喜びが魅力だと思います。

▽研究を志した理由は何ですか?

 私が留学した時に出会った、今まで見たことのない世界というか、すごく悲惨な事が描かれているのだけれども、そこにパワーを感じたため、この研究の世界に入っていきたくなりました。

▽トニ・モリスンに出会ったきっかけは何ですか?

 私が留学していた時のリーディングのリストに『青い眼がほしい』(1970)が含まれていました。そういう本があることも知らなかったので、その本を読み大変驚きました。

 この作品の中で、レイプされた女の子は家庭が不幸なのは「自分が青い眼を持っていないからだ」と思い込みます。なぜ家族の不幸をそのように思ってしまうのか、それはやはり社会のメカニズムなのです。主人公はその社会の仕組みの中で潰されてしまいますが、それを見ている別の黒人の少女がいます。彼女は、その悲劇を乗り越える洞察力のようなものを持っており、雑草の強さというか、そこに美しさがあります。小説の中でたんぽぽが出てくるのですが、たんぽぽを雑草と見るか花と見るかの違いがあると思います。

 たんぽぽはたくましいですよね。そのようなたくましさ、そしてそのたんぽぽの美しさを見ていくという価値観の変換がとても巧みで、私たちの固定観念を根底から覆していく面白みがあります。この話を聞いて、この本を読んでみたくなりませんか?

▽今後の研究目標は何ですか?

 今私が研究テーマとしている事は、政治によって守られていない人たちにとって、文学や文化がどのようなパワーを持っているのかという事です。アメリカの例で言うと、1964年に公民権法が成立して、法律上、人種差別は無いはずです。しかし、現実問題としてそれは未だに存在しています。そのような法的に守られていない人たちが、どのような形で文化を発信して、自分たちのエンパワーメントに使っているのかを検証する事が研究テーマです。
 皆さんはヒップホップと聞いて何をイメージしますか?公民権運動の結果、法律上の平等はもたらされたはずなのに、ニューヨークのブロンクスといった貧しい地区に住んでいる人たちは、全くその成果を感じられませんでした。そのような人々のフラストレーションがストリートで自分のアイデンティティを模索していく、自己探索のきっかけになっていきました。このようにヒップホップは誕生したので、その歌詞には不満が込められていたり、相手に対する批判が含まれていたりすると思うのですが、それはヒップホップが政治に取りこぼされた人たちの力をプラスに変え、文化となって発信された代表例として挙げられます。

 私の場合で言うと、トニ・モリスンは文学者としてのボーダーを超えていきます。例えば、チェリストのヨーヨー・マ(1955‐)とコラボレーションしたり、オペラの歌詞を書いたり、映画の脚本を提供するなど文学以外の活動も活発に行っています。このように、ボーダーを超えるという事はアウトリーチ、つまり、いろんなターゲットに発信していることを意味します。文学のみでは伝えられる人が限られますが、音楽にすればまた違う層の人たちに伝わります。

 さらに、彼女は2006年にルーブル美術館で「外国人の家」という特別展を企画しました。そして、これは私の研究テーマでもあるのですが、「外国人とは誰なのか」をテーマにしました。彼女はグローバリゼーションの視点も入れて、文学、芸術を通して外国人の問題をどういう風に捉えていけるのかという活動を行っています。

 また、博物館(美術館)は「客観的に作品を記録してきた」というイメージがありますが、意外とバイアスがかかっている事もあります。例えば、19世紀にはアフリカから連行されてきた人がヨーロッパの博物館に展示されていたこともありました。つまり、その時の支配階級の価値観が博物館に反映されているので、ルーブル美術館の美術収集品は、貴族階級が搾取した物が含まれていると言えます。しかし、モリスンは、それを違う見方で見たときに社会的に恵まれない階層の人たちが博物館からどのようなパワーを得ることができるのかということを試したのです。モリスンはこのような実験を多くする人ですが、あまり説明をしないので、読み手が彼女の意図を求めて深く作品を掘っていくという醍醐味があります。

▽学生時代はどのような学生でしたか?

 私は背伸びしていた方だと思います。皆と一緒はあまり好きではありませんでした。院生が入っているような読書会で、よく分からない本を分かったようなふりをして読んでいました。今思うと、可愛かったなと思います。

▽学生の間に読むべきオススメの1冊は何ですか?

 私は今回2冊の本をご紹介します。まず1冊目は、トニ・モリスンのRemember: The Journey to School Integration(2004)という本です。これには、公民権運動の写真と彼女のエッセイが収録されています。また、アメリカの秘密結社である、白人至上主義のKKK(クー・クラックス・クラン)の子どものメンバーや、白人と黒人が同じ場所で学ぶことを法律で禁止されていた当時の学校における人種差別を示す写真があります。アメリカが「人種隔離政策をするのは違法である」という有名なブラウン判決(1954)の発端になった人の子供たちの写真もあります。これらの写真から分かるように、黒人の子供は人種隔離された黒人の学校に通わなければならず、近くに学校があっても白人の学校であれば通うことができませんでした。こうした差別の記録を風化させないためのモリスンのエッセイが含まれています。

 次に2冊目は、アリス・ウォーカー(1944‐)という黒人女性が書いた『母の庭を探して』(1992)というエッセイです。この「庭」という言葉はとても象徴的な言葉です。ウォーカーの子ども時代でも17‐19世紀の南部奴隷制時代の延長で、南部には悲惨な暮らしをしている黒人の人たち(シェアクロッパー)がいました。決して豊かな暮らしをしていたわけではありませんが、特に女性たちは庭に色々な種類の野菜や花を植えるなどして、美しい庭を造りだし、そこにアフリカ系アメリカ人文化の豊かさがあるとする考え方です。アリス・ウォーカーはレズビアンですが、フェミニストという言葉は使わず、ウーマニストという言葉を使います。フェミニストは白人の中流階級の女性が中心となって、男性との平等を訴えた運動と言えます。一方、ウーマニストは人種もセクシュアリティも関係なく、男性でも女性でもLGBTでも良いのです。庭には様々な種類の植物が咲いていますよね。お花や野菜には様々な色があって、共存しています。つまり、アリス・ウォーカーは、様々な物が共存する象徴的なスペースとしてこの「庭」という言葉を使っています。

(左:アリス・ウォーカー著『母の庭を探して』 右:トニ・モリスン著『Remember: The Jorney to School Integration 』)

(取材日:2019/04/16)

〇森 あおい(もり あおい)国際学科教授

異文化コミュニケーション、アメリカ文学・アメリカ文化研究

東京女子大学卒業。ニューヨーク州立大学バッファロー校大学院博士課程修了(トニ・モリスン研究で博士号取得)。広島女学院大学文学部英米言語文化学科教授を経て2012年から明治学院大学国際学部教授。授業では異文化コミュニケーションやアメリカ文学概論等を担当。

編著書に『トニ・モリスン 「パラダイス」を読む』や『新たなるトニ・モリスン』(共編)がある。

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