歴史学の魅力を考えた時に、やはり挙げられることは「何でもできる」というところです。歴史学、世界史や西洋史という大きな枠組みの中で、例えば経済中心にやりたければ、それは経済史と呼ばれ、美術が好きだったら美術史だったり、思想が好きだったら思想史など、結局人間の活動や生活のすべてが、大きく言えば、歴史の対象になるわけです。地域も研究対象に含まれるので、ヨーロッパ史・アメリカ史・東洋史・日本史などというように、地理的、空間的にも全ての人間の活動を含めることが許されます。また、時間の軸をどこに置くのかも自由です。そして、自分で歴史的に考えて、読んで、深く考えて気づいたことは、様々なことに使えますし、これからも歴史は進んで行くので、将来この世界、この社会がどんな風に進んで行くのかとか、あるいは、どんな風にしたいのかとか、自分がどういう人間になりたいのかというようなことを考えるときの材料としても使えるのです。
受験勉強の様に、条約の名前や年号を暗記したりすることは、全然歴史でも何でもなく、ただ試験をするために編み出された方法であって、固有名詞を忘れてしまったら、本で調べればいいだけの話なんです。もちろん大きな流れを覚えておくこと、間違ったことから出発してはいけないことは大事ですが、暗記は歴史の根幹ではなく、歴史を遡ったりすることで、これからの自分の人生や社会の見方を鍛え、それをどう活かして行くのかということが、歴史を考えることの醍醐味だと思います。自分は何を歴史から汲み取りたいのかということを考えることができれば、歴史学には、大概の時間、大概のテーマ、大概の地域は含まれているので、自分の好きな時代やテーマ・関心などを見つけて掘り下げていくことは可能だと思います。
ただ、情報は膨大にあるので、ただ座っているだけで見つかるものではなく、スマホなどで調べて短い言葉で理解できるものでもないので、それに見合った努力をして、知ろうとしなければなりません。あるいは、手に入れたデータが矛盾を孕んでいないか、間違っていないかを吟味する必要があります。例えば、とある事件に関して、とあるグループの人たちがAと主張して、他のグループは、これはBだと主張している時に、自分はどう考えるのかという事です。AとBを見比べたり、それに自分の考えを足したりすることで、Cなんだとすることも出来ます。自らの考えは、その事件のことを考えるキッカケ、知恵を与えてくれます。何もなかったら判断することはできませんし、スマホで検索して、それをそのまま鵜呑みにしていたら意味がありません。自分の基準をある程度鍛えておかないと、正しく自分で判断することは出来ません。歴史を知っていたりとか、歴史番組を見たり、本を読んだりすることは、その練習のようなものなのかもしれません。
受験や、大学の授業でも、テストはありますが、より重要なものは、授業において教員が伝えたいことの核心を自分なりに学び、どう自分が評価するかが大切です。納得する時もあるでしょうが、先生の言っていることは違うと思う時もあるかもしれません。どちらでも構わないと思います。僕も授業で言ってますが、多くがこう考えるから、これが正解とは限りませんし、そもそも正解はありません。大切なのは自分がどう考えるか。どれが正解かは判りませんが、自分でどれが正解かを判断できないということは悲しいことでもあります。「分りません」「難しいです」と、容易に言ってしまうと、それは他の人や社会に利用されてしまう結果を招いてしまうかもしれません。なぜなら、自分の基準がないからです。何も持っていない人間は、「上の人間」と呼ばれている人達や、政治家や、あるいは悪意を持っている人達などにより、たとえ利用されたりしても、無関心がゆえに気づかないかもしれません。そういう風になりたくないのであれば、何か軸を自分の中に持っていないと判断もできないと思います。本当はそのようなことを、歴史学はいろんなキッカケで教えてくれるものだと思います。
本当に歴史が嫌いな人なんていないのだと思います。「計算が苦手」だから「数学が苦手」とか、「泳げない」から「体育は嫌い」だとか、科目として世界史や、日本史を嫌いだと言う人はいるかもしれませんが、歴史ドラマとかを見て、苦痛でしょうがないっていう人っていませんよね。大概のことは歴史を背景にしていないと成り立ちません。科目になると暗記科目になり、「あの先生の授業つまんない」となるわけですが、それは本当の歴史や歴史学ではありません。そこを区分けして考えて、歴史をこれまで受験科目として嫌いだったとしても、大学入ってから歴史関係の講義を取ったり、歴史とどう向き合ってゆくかは別に考えていった方が良いと思います。そしてそのことは皆さんの人生にとって有益なことでもあると思います。もう一歩踏み込んで考えて、それをどう活かしてゆくのかということを、研究者は歴史や歴史学の一連の作業として日々行っています。「こんなことがありますよ」とか「当時の人はこんな風に考えていましたよ」など、それぞれの研究者が重要だと思うところを読み込んで解説しているわけなので、学生はそれを受け取り、自分なりに咀嚼する一一一この繰り返しが歴史の勉強かなと思います。
東欧史、特にハンガリー近世史(オスマン支配下(16~17世紀)のハンガリー社会)
国際基督教大学比較文化研究科博士後期課程修了。学術博士。明治学院大学一般教育部専任講師を経て、2007年から明治学院大学国際学部国際学科教授。
著書・訳書に『ブダペシュトを引き剥がす--深層のハンガリー史へ』や『ハプスブルク軍政国境の社会史――自由農民にして兵士――』など。