【研究内容紹介】平山恵先生

▽現在の研究分野は何ですか?

 私の研究分野は2つあります。まず国際学部での研究はエコヴィレッジ(持続可能性を目標としたまちづくりのコンセプト、またはコミュニティ)についてです。エコヴィレッジは大岩先生と賴先生の三人で一緒に研究しています。2011年3月11日の東日本大震災以降にエコヴィレッジが日本にたくさんできました。東日本大震災で電気が止まったりしたので自分の地域で電気を起こしたり、日本はエネルギーが無いのに使いすぎているので、それぞれの地域が地域で自立する運動(ローカリゼーション)が非常に盛んになりました。また、私は奈良県出身なのですが、奈良県でエコヴィレッジを作ろうとしていて、実はもうすでに持続可能な生活実践を始めています。

 もう一つの研究は、国際平和研究所の研究員を兼任しているので、そちらでは戦争を止める研究をしています。2006年から2010年の5年間、シリアへ国際学部生を校外実習に連れて行っていました。6年目に行こうとしたら戦争になっていたので1年だけスーダンに連れて行きました。シリアでの戦争が長引いたのでその次の年からヨルダンに5年間行っています。シリアの戦争が終わらないのでシリア戦争を終わらせるNGOを立ち上げました。

 1つ目のエコヴィレッジと2つ目の戦争を止めるという運動は一見全然繋がっていないように見えますが、両方とも平和をつなぐ運動です。なぜローカリゼーションが大事かと言うと、戦争のほとんどの原因が他の地域からモノを取ってくるというところから始まっているからです。自分の地域が自立して他の地域からモノを取ってこなければ戦争は起こりません。よく誤解されるのは、私はシリア難民の支援をしているだけと思われがちですが、難民を支援しようとすると助ける者の方が少ないので何年経っても援助しきれません。国連もお金がなくなってきて、食料でさえシリア難民全員に配給できなくなっています。根本的解決には、地域の経済的自立が不可欠です。他から取ってこなければ戦争にならない。日本はガスも石油も盗んできているわけではありませんが、大量に海外から日本へ持ってきています。そのような資源の取り合いで戦争は起こっています。それに加えて、武器を輸出しない、させないというもう一つの長期的な運動もしています。日本は2014年から武器輸出を解禁した。

 以上が現在行っている研究ですが、専門は健康科学なので、教員になる前に国連やWHOに従事していた時はどうやって各途上国の人々の健康を維持していこうかということを考えていました。明学の前は筑波大学の医学部の教員で、なぜ医学部がない明学へ来たのかというと、WHO(世界保健機関)での活動が原因です。WHOの時は保健教育部門に所属し、僻地の病院がないところへ行ってどうやって健康を維持するかということに取り組んでいました。例えば、シリアではひとつの金属汚染で子供たちがブルーベビー症(メトヘモグロビン血症)という水の汚染で病気になってしまうことがあります。その問題を解決しようと5年間がんばっていたのですが、一旦戦争になったらそれまでの努力が全て消えてしまいました。戦争を止めないと一生懸命コツコツやってきたものが潰れてしまうと考え、問題意識を保健から平和に拡大させ、日本で一番初めにできた国際平和研究所を持つ明治学院大学に移りました。現在も健康問題にもとりくんでいてInternational Healthという科目を大学院で担当しています。

 学部で開講している社会開発論の中で国際保健は大きな課題として扱っています。私はいくつかの言語を話しますが、語学オタクだからというわけではなくて60カ国で健康作りの仕事をしていたからです。私は健康教育官という役職だったので教育する際に言葉ができなかったら伝わりません。通訳がよく間違えるので自分でやらないといけないから勉強を始めました。

▽研究分野の魅力は何ですか?

 “実学”と言いますが、実際に目の前の問題を少しずつ解決していくというところです。もちろん過去の研究を学ぶのも大切なのでやらなければいけませんが、ただ理論だけではなく目の前の問題を解決していく。例えば、自分の研究したことを、政策に活かすことです。私はホームレスの結核問題というのを長い間研究していました。ホームレスの結核の対策をホームレスが多い東京や大阪の政策に反映したり、予算をとってもらったりします。もっと大きい例だと、国会で審議するときの資料を作ったりしていて、法律を変えるというところまでやっていました。自分の研究発表を学会でしたり、本を書いたりするよりも私は実学なので「あ、これ解決していないな」という課題に成果が見えてくるというところが魅力的でやりがいがあります。例えば、厚生労働省の人たちに「これはどういう意味ですか?」と聞かれたら解説しないといけません。このような点で高校の教師とは異なります。大学の教授の仕事は、半分は教育ですが、半分は社会貢献であると考えています。だから大学の教授は毎日授業があるわけではありません。私の場合は本を書くというよりも実際の政策を提案します。途上国の健康問題は誰かが対応しなければ人が死んでしまうので、そこが他の分野とは違うかもしれません。

▽研究分野を目指した理由は何ですか?

 私は元々研究者というよりも実務家でした。ただの実務家だったら目の前の一人や二人を救えばいいですが、全世界、国際的問題は実務家一人では対応できないので政策に委ねることになります。(人を動かそうとしたらお金が必要で、ある理論や調査の結果を基にしないとお金は動きません)。だから目の前の問題をやるよりももう少し大勢の人に裨益できるように、彼らの役に立てればと思って保健政策研究を続けています。

 それからもう一つは大学が後輩を育てられるというところです。国連に行く日本人は多くありません。ですので私の場合は次にこの分野で働く人を作らなければなりません。そういう後輩を育てるには大学は適しているのではと思いました。自分が一人でやるよりも仲間を作る方が大事だと思い、それが学生のいる大学だったということです。

 現在、奈良で「笑郷(エコ)まほろば」というエコヴィレッジをスタートしました。エコヴィレッジネット・ワークというNGO法人があって私は、(大岩先生もそうですが、)日本でエコヴィレッジを作りたい人への教育をボランティアでやっています。エコヴィレッジは日本各地にあり、例えば神奈川県藤野が有名です。エコヴィレッジはただエコな生活をしているだけではなくて、教育も変えています。エコヴィレッジというのは資源の問題にだけではなく、教育(受験戦争などの教育の歪み)も変えようとしています。海外のエコヴィレッジは小学校や中学校を持っているところもあるし、大人が参加する勉強会もやっています。ヴィレッジなので農業ばかりやっているイメージですが、自分たちのものも作るけどそのための教育も自分たちで作りあげるというのがエコヴィレッジです。大岩先生はスロー小学校をやっていますが、それもまたエコヴィレッジの一つの運動です。

▽なぜエコヴィレッジ運動と戦争を止めるための運動を同時にやっていたのですか?

 はじめは戦争のことは考えていないで、教育問題から入りました。途上国の健康に関わっていたら、識字率や教育方法の問題は必ず出てきます。しかし一方で、日本の教育システムを持って行くと詰め込みになってしまいます。

 例えば、農業をやっていた人が「字が書ければ力がついて仲買人等にだまされませんよ」と言われることがあるのですが、それは文字が書ける人の言い分です。アラビア語をやってみるとわかるのですが、右から書くアルファベットのところでつまずくのです。日本で教育を受けた学生は英語を勉強しているのでフランス語やドイツ語はほぼ同じアルファベットなので書けますが、右から書いたり、予想がつかない単語になると言語の習得をやめてしまいます。

 ですから教育を上から押しつけられるとどれだけ苦しいか、文字を書くことが難しいかということがアラビア語を学ぶことでわかります。バングラデシュでサインをしてもらうのに1ヶ月ぐらいやらないと同じサインが書けません。ペンマンシップといって「あ」のように丸い字は書けません。それがわからず「教育はいいんだ!」と頭ごなしに言うのは安易すぎます。押しつけの教育で潰れたプロジェクトを実際に私はたくさん見てきました。WHOでも国連でも健康の仕事をして災害も見て、戦争も見た上で戦争問題に取り組むことにしました。

 ルワンダ難民キャンプで働いたことが一番大きかったです。あれだけ死体を見たのは初めてです。映像は残せますが、臭いは記録できません。私は死臭が頭に残ってしまっていて絶対にこんなことは止めないといけないと思いました。これはなかなか伝えづらいのです。このときに戦争をなんとかしたいと思いました。

 私が国連に入った時一番初めに担当したのがイラン・イラク戦争(1980-1988年)でした。中東については勉強したことなくて、全然分からないので「これは無理」だと思いました。私は本来ニューヨークへ行くはずでしたが急にジュネーブに勤務することになりました。私の第二外国語はドイツ語だったのですが、私の上司も秘書の人もみんなフランス語しか話さず、上司はロシア人で英語が話せませんでした。そのような中でイラン・イラク戦争を担当しました。国連全体のなかで当時25歳の私たった一人で何もわからないまま仕事をしていました。科学兵器を使った戦争だったので死体を見ただけで「あ、これはまずい」と思ったのを覚えています。そこで元々アフリカを希望していたので一旦中東の仕事から離れたのですが、その後少ししたら湾岸戦争(1990-1991年)が起こって、イラクへ調査に行く人が必要だったこともあり栄養疫学という自分の勉強したものを使って約2000戸の訪問調査をしました。そのようにして中東に押し戻されました。

▽今後の研究目標は何ですか?

 現在進行中なのですが、日本のエコヴィレッジの事例を整理して、他のエコヴィレッジの経験が共有できるようにすることを目標にしています。5年前から白金校舎でやっているのですが、年に一度日本全国のエコヴィレッジ、トランジションタウンの運動をしている人一堂に会しが経験を共有します。エコヴィレッジはよく村という印象を持たれるのですが、都会でも団地でもできます。団地の場合はソーラーパネルを人数分設置するのは難しいので長野県のお寺の屋根を貸してもらい、起こした電気をわけてもらうというようなエクスチェンジを日本の中でやっています。それをもう少し整理するということです。

 始まってから41年経つ老舗のエコヴィレッジがエジプトにあったので最近行ってきました。そしてそのエコヴィレッジがなんとヘリオポリス大学という大学を作ったのです。以前からエコヴィレッジに大学を作りたいと思っていて、それは難しいのではないかと周りから言われていました。またハンガリー、イタリアとスロベニアのエコヴィレッジを体験をしてきました。イタリアは大岩先生と行きましたが、他の日本人は来たことがないという場所に行きました。海外の良いところを学ぶことでみんなが自立していけば輸入品を減らしていけます。そしてもう一つ、日本の武器輸出はもう始まっているので止めるというのが目標です。

▽学部生の頃の様子はどうでしたか?

 泳いでばかりいました。私は日本水泳連盟認定の指導コーチの資格を持っています。国体の審判をやったりしていたのであまり勉強していませんでした。私が4年生の頃カンボジア、インドシナ難民の人たちが日本にやってくるようになりました。そのあたりから世界に興味を持ちましたが、英語が全然できませんでした。英語ができなかったので一番初めにやった言語がハングルで、次が中国語、そしてカンボジアのクメール語を学びました。他の人と自分を比べてしまい劣等感を持つという理由からアルファベット語を全て避けました。比べる人がいない方がやる気になるので、みんなとは違う言語をNHKのラジオ講座で学びました。そして後から英語ができるようになりました。私は他にもスワヒリ語や東ティモールのテトゥン語等を勉強しました。

▽学生の間に読むべきオススメの1冊を教えてください。

 少し難しいかもしれませんが無着成恭さんの『山びこ学校』という岩波書店が出している古い本です。日本の東北の貧しい子供たちが「綴り方教育」でどういう教育をしたらいいか、押しつけの教育ではなくその地域に合った教育をということが書いてあります。「作文教育」の話ですが、作文は本来、何かについて書いてくださいと題を与えられて書きますよね。そうではなくて自分の貧しさから抜けるためにどうやったら力を付けていけるかなどと、生きていくことに役に立つ作文教育を東北で進めた人の話です。

 今ではピンとこないかもしれませんが日本にも貧しい時期がありました。貧しいから身売りされる時代もあったし、食糧不足を引き起こす飢饉が頻繁に東北で起こりました。ただ文字教育をするのではなく、自分の実学の教育学、自分が本当にこの貧しさから抜けだそうと思わないとみんな農作物を作れるからこのままでもいいじゃないと言って親も学校に行かせません。でもこの綴り方を工夫してやるとこんなに貧しさから抜けられて力がつくという教育方法がこれです。

 もう一冊、無着成恭さんとよく比較されるのがブラジルの教育学者であるパウロ・フレイレというブラジル人が書いた本で、原題は『Pedagogy of the Opressed』です。彼の書いた本は訳されて『被抑圧者の教育学』というタイトルで図書館に置いてあります。「抑圧されている人のための教育学」という意味です。私は研究者というよりも教育者だとよく言われます。このパウロも無着成恭さんと似た思想や考えを持っていました。中南米諸国はキリスト教国なので何か問題があると神父さんはみんな祈りましょうと言います。しかし、祈っても祈っても飢えていく人は飢えていくからそれではダメだ、どういう教育をしたらいいのかということを考えたのです。最初は、スペインやポルトガルの植民地だったので西洋から持ってきた教科書をそのまま使っていましたが、今ではその地域に合った、その地域に必要な材料を使って教育することがエコヴィレッジにおいても、教育においても大切です。

(取材日:2019/04/22)

〇平山 恵(ひらやま めぐみ)国際学科教授

社会開発/保健政策/平和研究(社会調査、アラビア語、アラブ世界、NGO、公共政策、国際協力)

School for International Training Master’s Program of Intercultural Management 修士課程修了。筑波大学人間総合科学研究科修士課程修了(カウンセリング)。世界保健機構、筑波大学、結核予防会結核研究所などを経て、2005年に明治学院大学国際学部に着任。現在も教授として、NPO,NGOや、開発といった分野に幅広い知識を持つ。日本平和学会、日本国際開発学会などの学会に所属。

著書に「『正戦』を超える『非戦』日本の貢献:シリアから考える、中野憲志『終わりなき戦争に抗う:中東・イスラーム世界の平和を考える10章』」などがある。

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