【OBOGキャリアセミナー】 11KS大平翼さん

 国際学部主催キャリアセミナーで11KSの大平翼さんが、新卒で2年間活動していた青年海外協力隊について、お話をしてくださいました。

▽明治学院大学での思い出

 私にとって、勝俣先生との出会いがとても大きかったです。先生が「大学は学ぶ場所だ」「僕たちはどんな世界に生きたいか」という、大きな問いをしてくださったおかげで、様々な事を考え、とても濃い時間が過ごせました。また、大学1、2年生の時は、母校の高校のバスケットボール部のコーチをしたり、教員免許を取得するために教職課程も取ったり、忙しい大学生活を過ごしていました。

▽なぜ海外協力隊に参加したのですか?

 シンプルに言うと、「海外に行って、もっと広い世界が見たいから。」という理由でした。父親は海外赴任が多くて、小さい頃から海外に関心を持っていましたが、一番大きなきっかけは、勝俣ゼミの校外実習でセネガルへ行った経験です。言葉で説明するのは難しいですが、現地で、「そこで人が生きている」と強く感じました。全然知らない人に「元気か?」「一緒にご飯食べて行かないか?」と言われる事や、一緒に歌ったり踊ったりした事は、今まで自分が体験した事がなかった世界で、セネガルの人と過ごす時間が、とても楽しかったです。そこには貧困などの問題もありましたが、それ以上に良いな、魅力的だなと思う事が多かったです。この経験から、自分が知らない、いろんな世界を見てみたいと思うようになりました。

 もう一つの理由は、人として成長したいと思ったからです。教職課程や、バスケットボール部のコーチをした経験を通して、人に何かを教える事の難しさを感じていました。私はこれが良いと思って行動しても、生徒から強く反発された事も、厳しく指導し過ぎて揉めた事もありました。当時の経験の中には、今でも忘れられないような失敗や、辛い思い出もあります。そんな自分が先生になったところで、できることは限られているだろうと考えました。今の自分は未熟だと思った私は、言葉も環境も文化も全然違うところに一回行って、自分がどのぐらいできるのか、という事を知りたくなり青年海外協力隊に参加しようと思いました。

▽青年海外協力隊とは何ですか?

 ODA(政府開発援助)により、JICA(独立行政法人国際協力機構)が実施する事業で、簡単に言うと、2年間自分のできる事をして、現地の人たちと一緒に現地の社会的な課題に取り組むボランティア事業です。

▽なぜマダガスカルを選んだのですか?

 もう一度アフリカに行きたいと思っていたからです。それと、バスケットボールを教えていた経験から、スポーツにかかわる仕事をしたいと思っていました。また、協力隊の要請の中には、社会人経験や資格が必要な仕事もありましたが、マダガスカルの要請は、バスケットボールの競技経験が3年あれば受けることができるものでした。この要請で行きたい、むしろこの要請でしか行けない、というほどピンポイントだったので、マダガスカルを選びました。

▽マダガスカルでどのような活動をしたのですか?

 私は、マダガスカルの首都アンタナナリボから南に90km離れた、アンボヒマンデュース(Ambohimandroso)という田舎町で、生活しながら活動しました。要請の内容は、国民教育省の出先機関である郡学区事務所に配属され、中学校での体育授業のサポートや、スポーツ大会の企画実施をするというものでした。

 しかし、実際に行ってみると、想像とは違う事がたくさんありました。まず、体育の授業は1コマ2時間でした。また、「体育授業のサポート」という要請でしたが、活動先の学校には体育の教員が一人もいませんでした。体育の教員がいなかったため、生徒にとって体育の時間は自由時間という感覚で、男子生徒はとても広い土地でサッカーをして、女子生徒は木陰に座っておしゃべりをしていました。また、全校生徒約600人、1クラス約50人の規模の学校にもかかわらず、ボールは一つしかなく、そのボールは空気が抜けていて使い物になりませんでした。

 最初の頃は、校長と一緒に授業をしていたのですが、校長は忙しく、気づいたら一人で授業をするようになりました。もちろん、一人で授業を持つ事は大変でしたが、一番大変だった事は、マダガスカル語で授業をしなければならない事でした。マダガスカルで使う言葉は、日本で70日間訓練をした時にフランス語を勉強し、現地についてから1ヶ月間マダガスカル語を勉強しましたが、活動の当初はあまり話す事ができませんでした。マダガスカル語で「オチザオ(日本語:このように)」という言葉があるのですが、ずっと「オチザオ」と言って授業をしていました。言葉での指示が難しかったので、まるでジェスチャーゲームのような授業になってしまいました。生徒からすれば外国人が、カタコトのマダガスカル語で「静かにしてください、これしましょう」と言っている事が面白かったようで、よく笑われていました。そんな状況で私は、何とか授業をしなければと焦り、上手くコミュニケーションがとれない時は生徒に怒ってしまう事もありました。

 私が一番気になっていたことは、一人で体育の授業を行っていたので、私の帰国後の体育の授業はどうなるのだろうということでした。継続性がないため、このままではだめだと思うようになり、校長やJICA事務所に相談し、非正規ではありますが新しい体育教員を雇ってもらう事になりました。新しく雇ってもらったマダガスカル人教員の本業は美容師で、授業の時だけ学校に来て一緒に指導してもらいました。そこから彼と一緒に体育は遊ぶだけではなく、知識を学ぶ事も重要である、と生徒たちに教えられるようにしました。また、道具が無くてもできるアクティビティの紹介をしました。

 活動の中で最もやりがいを感じたことは、運動会の開催でした。2年間の活動の最後に行ったのですが、運動会をやる意味を先生方に説明し、当日は多くの競技を行い、無事に盛り上げる事ができました。

 それ以外の活動では、体育教員向けに体育研修の実施を行いました。ペットボトルから作るボールの作り方を教えたりし、先生方にも楽しみながら学んでもらいました。また、日本の文化紹介として、折り紙や日本語、福笑い、箸の体験、ソーラン節を生徒と一緒に踊るなど、様々な事を生徒たちに経験してもらいました。

 活動の成果として、マダガスカル人教員が正規の教員になり、今でも体育の授業を続けてくれていることが嬉しいです。また、日本とマダガスカルの交流ができた事もよかったと思っています。

▽新卒で青年海外協力隊として活動したのはどうでしたか?

 新卒だったので、分からない事がたくさんありましたが、「とにかくやってみよう!」という精神で、常に試行錯誤しながら活動をしました。また、マダガスカル人と一緒に体育の授業をやり始めてからは、授業が上手くいくようになったように、現地の人たちとの人間関係は本当に大切でした。マダガスカル人から教えてもらったことがたくさんありました。そして、日本とは違う環境だったからこそ、体調を崩しやすかったり、安全面で気を遣う必要があったりしたので、心と体の健康は大事だと強く感じました。

 2年間の活動を通して、物事を様々な面から捉えられるようになり、何でもとりあえずやってみよう!というチャレンジ精神を養うことができました。また、運動会をやった時、普段は体育の授業を苦手そうにしていた生徒も、当日は楽しそうにしている様子を見て、イベントや仕組みを作る事も大事だと思うようになりました。その経験により、行政の仕事への興味を持つようになり、今は神奈川県の職員として働いています。

▽学生へのメッセージ

 私も大学生の時は、これから先何をやろうと悩む事がありました。ですが、将来何になるという事は、焦って今すぐ決めなくても良いと思っています。様々な活動に参加して、自分の好きな事や嫌いな事を発見してほしいです。私もマダガスカルに行って初めて知った、自分自身の事は多くあります。

 マダガスカルで活動を始める時は、活動の詳細は何も決まっていなくて、いつどこで何をするかをほとんど自分で決める事ができました。ある意味、自由すぎて苦しかったのですが、そのような経験はなかなかできません。その中で、たくさん失敗をしましたが、その分得るものも大きかったと思います。新卒で協力隊に行くなんてと、自分自身で思う事もありましたが、今では新卒だったからこそ様々な事に挑戦できたのだと思います。学生の皆さんにも失敗を恐れず、興味のあることに挑戦してほしいと思います。応援しています。

(取材日:2019/10/25)

〇大平翼

1992年生まれ。父の仕事のため生後4ヶ月でフランスへ。帰国後、日本の中学と高校に通う。2011年に明治学院大学国際学部国際学科に入学。勝俣ゼミに所属し、3年次に校外実習でセネガルに行き、アフリカに興味を持つ。2015年3月に国際学科を卒業。同年7月に青年海外協力隊員としてマダガスカルの小中学校で体育として活動。2017年7月に帰国し2018年4月から神奈川県庁のかながわ県民活動サポートセンターで職員として勤務。

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