重冨ゼミ 富岡製糸工場見学 補助

YISAでは国際学部のゼミ合宿への補助を行っております。

以下、2019年10月30日に行われた重冨ゼミ、ゼミ校外活動の報告です。

重冨ゼミ 富岡製糸工場見学 

活動報告:

18KS 東中さん

こんにゃくぱーくを巡る日帰り合宿を行った。「富岡製糸場」では、ガイドによる説明で外観 から、施設全体の構造を理解することができた。また、実際にほとんど変わらない形で残 されている繰糸工場の見学や繰糸の映像から工程を学んだ。そして、施設内に位置する工 女たちの宿泊場や給与、医療設備など、当時の工女達の福利厚生の良さについての理解が できた。さらに、こんにゃくぱーくでは、こんにゃく作りの工程について映像やパネルか ら、学んだ。実際に生産から出荷まで、窓ガラスを通して見ることで、より理解が深める 内容であった。 今回の合宿で得たこと;富岡製糸場は、フランスのポール・ブリュナによる建設設計から 1872年に操業を開始した、国を代表する器械製糸工場である。1万6千坪の敷地を持つ、 富岡製糸場は当時生糸の需要が高く、渋沢栄一が中心となって明治政府が建設した。製糸 場建設に向けて、富岡市が選ばれた理由としては、豊富な土地や水、石炭があり、工場建 設にあたって町の人々の理解があったことだ。また、当時、女性が働きに出る習慣は日本 では珍しい。富岡製糸場は、工女達が安全で働きやすい環境を整えていた。施設の中には、 工女達が共同で生活できる寮があり、その近くには診療所がある。この診療所が基盤とな り、現在の企業内診療として健康診断が一般化された。また、当時の一級工女の福利厚生 は、医療費は無料で月給は4万円であった。工女には、風呂や食事など用意され、日曜制 も取られていた。富岡製糸場の月収入は1700万とされ、生糸の輸出産業では21億3千万 の外貨を獲得した。 富岡製糸場の建築構造は、多くの窓が取り付けられている。理由としては、繭をカビから 守るために風通しを重視し、夜でも作業ができるように外の光を取り入れる為である。繰 糸工場では、トラス構造が取られていて、蒸気で動くブリュナエンジンと呼ばれる自動繰 糸機が使用されていた。実際に製糸場に訪問し、建物の構造や当時の工女達の働き方に工 夫がされていることに気がついた。世界からの生糸の需要が高かったことから、製糸産業 は当時の日本に大きな経済効果を与えていたことが理解できた。それらの歴史を含めて、 富岡製糸場が日本の世界文化遺産の一つであることを学んだ。

17ks 及川さん

・富岡製糸場の概要

 群馬県では古くから、養蚕・製糸・織物といった絹に関する営みが盛んで、絹産業に関する文化遺産が数多く残っている(富岡製糸場「富岡製糸場と絹産業遺産群」)。富岡製糸場、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風月を構成資産とする富岡製糸場と絹産業遺産群は、2014年にユネスコの世界遺産委員会で世界遺産となった(ibid.) 工場は、フランス人によって設計された為、各地に西洋風の建築技術が用いられている(ibid)。

・富岡製糸場の歴史

 富岡製糸場は、明治政府が製糸業の近代化を測るために設立された模範工場である。(富岡製糸場「富岡製糸場の価値」)。当時、輸出品の要であった生糸の品質改良と大量生産を可能にするためは、機械製糸工場を推進していく必要があった(ibid.)。建設時は、約1.5haの矩形に近い敷地であった。生産性の向上を期し、官営期の建物に接して新たな生産施設を設けたため、複雑な様相を呈している(ibid.)。

 建築資材は、ガラスや鉄製窓枠など一部輸入されている(富岡製糸場「建造物の特徴と価値」)。建築方法は、木骨レンガ造やコヤ組みのトラス構造など西洋の建築技術と、養蚕農家に見られる換気用の越し屋根や漆喰で積まれたレンガなど日本の建築技術を併せ持った工法が使われている(ibid.)。

 富岡製糸場は、寛永模倣工場として日本各地に器械製品技術を広める役割をした。生糸は当初フランスへ輸出されていたが、1881年にはアメリカへも輸出されるようになった(富岡製糸場「富岡製糸場が果たした役割」)。

設立指導者のポール・プリュナなど、当初は10名ほどのフランス人を雇い入れ、器械製糸技術の指導が行われた。技術伝習工女として、15〜25の若い女性が募集された。工女の活躍が絹産業ひいては、近代化に大きく貢献した。

自動操糸機には、「日産HR自動操糸」が使用された。日産HR自動操糸は、昭和39年に開発された。富岡製糸場には、昭和41年から設置され昭和62年の操業停止まで稼働し続けた。同型の自動操糸機は、現在も世界で使用されている。

東置繭所

 明治5年(1872)年に、建築された。長さ104m、高さ14mに及ぶ(ibid.)。1階は事務所・作業場として使用されて、2階には乾燥した繭を貯蔵していた。

西沖繭所

 創業当初、蚕を育て、繭を収穫することは年に1回、春にしか行うことができなかったため、1年間使う繭を集めておく大きな倉庫が必要であった。繭は、乾燥させて中のサナギを殺し、カビが発生しないようにしていた。

検査人館

 生糸の検査を行うフランス人男性技術者の住居として建設された。

女工館

 フランス人女性技術者の住居として建設された。日本人女工に、操糸器を使用して生糸の作り方を教えた。

操糸所

 操糸所では、繭から生糸をとる作業が行われていた。創業当初は、フランス式の操糸器が300釜設置された。小屋組には「トラフ構造」という建築構造を用いている。建物の中央には柱がなく、更に、採光のため多くのガラス窓が取り付けられた。

生糸を作る過程

  • 索緒

 煮繭した繭玉の表面を稲穂ほうきなどで擦って、数本の繭糸を縺れた状態で引き出す。このもつれた状態を「緒糸」という。

  • 抄緒

緒糸をたどり、1300mにも及ぶ繭糸の糸口となる「正緒」を見つけ出す。正緒を見つけた繭玉をお湯に浮かせ、直径0.2ミリから0.4ミリの目的に合わせた繭糸を作り出す。

  • 繰糸

繭糸を縫合させて、小枠に巻き取っていく。繭糸に節があると巻き取りが自動停する。1分間に200回のペースで巻き取りがなされる。繭糸の主成分はタンパク質で、水分を多く含むと腐りやすくなってしまうため、摂氏10度以下に冷却することで、腐敗を防いでいた。

・合宿内容

富岡製糸場見学、コンニャクパーク見学

引用文献

富岡製糸場 (2019)「富岡製糸場と絹産業遺産群」

富岡製糸場 (2019)「富岡製糸場の価値」

富岡製糸場「富岡製糸場が果たした役割」