【例2】に具体的な問いとして示した例は、いずれも難問ぞろいであり、じっさいに検証するとなれば非常に広い範囲の議論が求められる。それぞれについて毎年おそらく何百という専門家が各国語で論文を発表するような大きな問いであり、この種の問いに答えられるなら、レポートどころか博士論文が書けるかもしれない。卒業論文サイズの長めの論文を書いていると仮定しても、問いをさらにひとまわり小さくしなければ、収拾がつかない(したがって答えも)。
たとえば卒業論文にこうした題名がついていれば、中身を見るまえにある程度しっかりした議論が期待できる。一見専門的な術語がならんでいるからそんな気がする、ということではない。具体的にデータの範囲や検討方法を限定し、客観的に答えられる小ぶりの課題(問い)を示すからである。こうであれば結論(答え)もおのずから手がたいものとなる。 手がたい論証となるかは、結論のサイズが論拠のサイズと釣り合うかで決まる。小・中学校の作文ではしばしば、子どもらしい体験を語り、それを一般化した教訓で結ぶとホメられる。小さな基礎の上に重い建物をのせるこうしたやり方は、論証では決定的な命とりとなる。「冒頭で立てた問いに結論で答えながら、論拠のない蛇足で論証を台無しにした」「結論をひとまわり小さくすること」などというコメントが付くことになるだろう。 |