1.より短く書くことは、より良く、より難しい

 初心者のレポートや論文のばあい、推敲の基本は削ることである。試験をうけて新聞社に入った記者でも、はじめての記事は3〜5割ほど削られるのがザラである。平均的な大学の新入生が書きあげたままのレポートをプロが添削すれば、必要な情報を損なわずに半分ほどの長さに削れるだろう。初心者の文章には、ことばが足りないためより、多いために分かりにくくなる傾向がある。重複したことば、冗長な表現、言うまでもない事実、横道への脱線を削れば、ひき締まったレポートらしい文体になる。文章の短かさはほぼつねに、ごまかしのない論理を意味する。

 レポートのばあい教員は義務として最後まで読むが、世の中の多くの文章は最後までは読まれない。何よりも、読者に不必要な記述をじゅうぶん取り除けないからである。同じ情報を伝える1ページと10ページの文章があれば、わざわざ10ページ読むひとは少ない。いったん社会に出れば、文章を書いて説得する価値のある読み手は多忙である。彼らは文章を読み飛ばし、情報を選別する。

 短く書くことは、長く書くことより難しい。字数の多いレポートを出題すると学生は不平をもらすが、おなじテーマの短いレポートより、本来はるかに楽なはずである。もし推敲なしで4,000字のレポートが書けたとしたら、むしろ教員が4,000字のレポートに期待する内容の半分しか書けていない可能性を心配すべきである。

 いきなり短く書くことは難しいが、推敲で文章を削ることは比較的やさしい。第一に、初心者が文を不必要に長くする典型的なパタンがあり、その種の表現をチェックするだけでも、伝えたい情報を捨てずに、ある程度ひき締まった文にできるからである。第二に、推敲するうちに探していたキーワードやより手短な術語を見つけ、簡潔な表現に修正できることが多いからである。第三に、混乱した論理やあいまいな主張は、多くのばあい練り直すうちに整理され、あるいはレポートの構成上不要であることが分かるからである。慣れるまでは長さを気にかけすぎず、いったん伝えたいことを書き、後からそれを短くするのが現実的である。

 推敲では、全体の分量だけでなく、一文一文も短くする。長いセンテンスは、あいまいな論理を生みやすく、読み手を混乱させる。とくに「〜だが、」「〜であり」「〜し、」「〜なので、」厂〜のため、」などのことばを用いて、ふたつ以上の文を読点でつないでいたら、「〜である。しかし」「〜である。この結果」「〜する。また」「〜である。このため」などと句点で切れないか検討すべきである。一般的には、1センテンスは60文字以内にとどめたい。例外的に長いセンテンスが許されるのは、ひと息に列挙すべき例示や対比、長い引用などに限られる。