【コラムM】情報を具体的にする「名・数」

 すばらしい資料を見つけながら、それを台無しにするレボートには、ふたつの正反対の傾向がある。第一は、評価も分析も不十分なまま資料をダラダラ引用し、自分の主張のなかに消化できない傾向である【第6節】。第二は、資料をパラフレーズするうちに具体的な情報がそぎ落とされ、宙に浮いた抽象的アイディアばかりになる傾向である。後者について少し考えて見よう。
 抽象的なレポートには、ひと目で分かる症状がある。人名や国名、書名などの固有名詞と、量や割合、年号や日付などの数字(ジャーナリストはまとめて「名・数」という)が足りないのである。自分のレポートが抽象的すぎると感じたなら、名・数が欠けていないかをチェックすべきである。名・数はしばしば論証そのものの成否を左右し、ひとつの名前、ひとつの数値がレポート全体を救うことさえある。
 資料が示す名・数を、パラフレーズであいまいにすべきではない。たとえば百貨店売上高が「前年同月比で98.5%だった」ならば、「前年同月の水準をわずかに割り込んだ」と言いかえるべきではない。何ポイントなら「わずか」なのかという基準は、読者ごとに異なるからである。あるいは「アジアの核兵器保有国は中国インド、パキスタン、北朝鮮の4ケ国である」なら、たとえ自分の主張にかかわるのがヨーロッパの保有国数を超えたという一点だけだとしても、国名を略すぺきではない。知識のない読者は国名を知りたがり、知識のある読者は、そこにイスラエルを数えたか自体を核兵器保有国の定義をめぐる争点とするからである。
 読者の分かりやすさのため、名・数の示しかたには作法がある。人、団体、資料、作品などの固有名詞は初出箇所では略さない(人名ならフルネーム)。初出の人名にはかならず肩書きを添える。また西暦と元号、異なる単位系などを混用しない。なお人名や数値を何行も羅列するのは、ナンセンスであり、積極的にリストや図表を利用すべきである。最悪なのは、面倒だからと名・数を省くことである。
 名・数を取り上げるうえでとくに注意すべきことは、名・数のまちがいはレポート全体の信頼性を致命的にそこなう、という点である。表現のまずさと異なり、名・数のまちがいに言い訳はない。課題を提出する前、ふつうの推敵とはべつに名・数だけに集中していちいちおおもとの資料と突き合わせて再確認すぺきである(メモや下書きと突き合わせても確認にはならない)。