【コラムO】不要の重荷を背負わない

 論証のつまずきは様ざまだが、大学生のレボートに目立つのは、必要もないのにわざわざ難しい主張をして、論理的に破綻するケースである。大きすぎる論証課題は不経済なばかりか致命傷となりかねない。論証をコンパクトにするのに役だつ、ニ・三の理屈と言い回しを紹介しよう。
 シンプルな例から示そう。日本語で「犬は哺乳類である」といえば、ふつう「あらゆる犬は哺乳類である」という主張である(全称命題)。この意味で「犬は泳ぐ」という主張は、泳げない犬が1匹見つかれば成り立たない。全称命題は際限ない重荷であり、不用意に主張してはならない。一方「この犬は泳ぐ」というかたち(特称命題)なら、反証にもとづく攻撃は防げる。
 裏返せば、当てはまらない例をひとつ見つければ成りたつ否定のしかたは論証を軽くする。そんな表現を強調することばに気づいているだろうか。たとえば「消費税率引上げは景気後退要因ではない」にひとこと足し、「消費税率引上げは必ずしも景気後退要因ではない」とする。「少年犯罪は増えていない」を「少年犯罪が増えたとは即断できない」とする。レポートで使ってほしい表現である。
 さらに一般的に言えば、何かが「ない」という主張は「ある」という主張より格段に論証しにくい。「ある」と言うには一例を示せばよいが、「ない」という主張 は一例で崩れるからである。たとえば「日本人は明治維新以前ホメロスが何者かを知らなかった」というのはありそうなことだが、それを完全に論証するのは理論上不可能である。一方この主張はホメロスに言及する幕末の文献ひとつで覆る。
 この意味で、たとえば「コロンブス以前」の米大陸に鉄器がなかったことが常識だとしても、「なかった」と断定するより「あったと立証されていない」と主張する方がスキがない。このほか「筆者の知るかぎり確認されていない」「~との報告は見あたらない」「管見のかぎり定説とは言いがたい」などとしても、論証の荷は劇的に軽くなる。こうした表現は、争点を一般的事実から学説上の事実へ横すべりさせるテクニックと言えるだろう。