2.パラフレーズ(言い換え=趣意引用)

 直接引用は手短かにという考え方をさらに突きつめると、引用をすべて自分のことばに言いかえれば(パラフレーズすれば)よい、ということになる。

 実際、長い直接引用を避け、自分のことばにパラフレーズするだけで、大学生のレポートは格段に論文らしくなる。大学生にありがちな失敗のひとつは、引用元の語彙や表現をよく考えずに引き写してしまうことである。借り物のまま、アイディアを消化できなかったと告白するに等しい。必然性のない直接引用は、自分の頭をつかうことを惜しんだ手抜きと見られ、引用元の権威に頼った品のないやり方と受け取られても仕方ない。引用は先行研究に分析を加え、自分なりに吟味するために使うものである。レポートの文脈(流れ)にあわせ、他人のアイディアを自分のことばへと消化しなけれぱならない。

 もちろん直接引用する価値のあるテクストや、じゅうぶんな直接引用がなければ意味のある議論ができないテーマは多い。しかし学部の学生のレポートでは、直接引用する分量の不足よりも過剰が問題となることがほとんどである。

 他人からアイディアだけを借り、自分のことばにパラフレーズするばあい、最も注意しなければならないのは、ことさらしっかり出典を表示しなければならないということである。直接引用なら出典表示を忘れたと見なされるような場面でも、引用元のことばを加工したパラフレーズでは、故意に証拠を隠した確信犯的な剽窃と見なされかねない。原則として、何らかのかたちでセンテンスごとに出典を示すべきである。

 以下は、さきに挙げた文例をすべてパラフレーズした一例である。

【例3】パラフレーズ

 ナショナリズムの成立過程を各国の近代史に例を求めて検証したペネディクト・アンダーソンは、「国民」概念の新奇さと、その思想的な浅薄さを痛烈に批判し、これが想像上の共同体にすぎないことを指摘した(アンダーソン,2000,p.24)。数百万にのぼる犠牲をもたらした国民間の殺し合いがこうした同胞意臓に根ざし、さらにその意識を言語や活字メディアが支えたことに、彼は注目する(同,p.26)。

 カギ括弧で引用Lた【例1】にくらべ論旨が要領よくまとまり、段落引用した【例2】とくらぺれば長さは半分以下である。しかも【例3】ではパラフレーズによって、たとえば【例1】が省いた「同胞」というキーワードを復活させている。何かに似てないだろうか。パラフレーズとは基本的に、大学生の多くが経験ずみの「要約」にほかならない。【→コラムI】

 ただし【例3】は読みやすさの半面、直接引用にくらべやや味気なくなった。それは引用元のことばづかいに見られる独特の当てこすりや攻撃性を洗い落としたからである。