a.枚挙
枚挙(列挙)とは、ある条件にあう要素を集め、リストすることである。
枚挙は当たり前すぎて忘れられがちな作業段階だが、本格的な議論のいとぐちを隠し、意外な発見のヒントとなることが多い。できるだけ多様な要素を丹念に見つけることで、議論が思いつきの範囲にとどまることも防げる。
たとえば戦争の防止手段を考えるばあい、戦争の原因を知るかぎり挙げなければ議論は始まらない。古今の戦争をふり返れば、歴史的・民族的反目、国境係争、経済的動機による侵略、国威発揚、報復や制裁、合従連衡、軍事力の不均衡、統治の動揺、国内的不一致の隠蔽、思想対立、民族の分断、少数派の独立要求、軍需産業の圧力、偶発的衝突など、いくつも枚挙できるはずである。
b.分類
分類とは、似たものどうしを集め(grouping)、それらを上位下位の階層に整理する(classification)作業であり、枚挙の次に来ることが多い。分類はただの整理でない。「なぜそのように分けられるか」という問いは、「そのものごとの本質は何か」という問いに直結し、術語や概念の定義に深く関わる。
同じメンバーからなる集合でも、何に注目するかで何通りもの分類が可能である。同じ100個の積木が、色、形、サイズなど、いくつものしかたで分類できるのと同じである。それぞれの議論に適した分類を考えなければならない。たとえば先に見た戦争原因のタイプにも、当事国どうしの関係/一方の国内的事情、古来の原因/近代以降に比重を高めた原因、軽度の衝突にとどまりやすい原因/全面戦争に拡大しやすい原因などいくつもの線引きがあるだろう。
こうした複数の分類法を組み合わせ、たとえば数学で用いるベン図(Venn diagram)や製品カタログの機能一覧のような表などを工夫すると、見落としていた前提や傾向が見つかるかもしれない。たとえば上に例示したような分類により、紛争当事者は主権国家とはかぎらないことや、民主化や産業の高度化と関連する戦争原因のタイプなどが示せれば、議論すべき中身になるはずである。
部分の部分のそのまた部分…という包含関係のある階層分類には、異なる分類軸が紛れ込むという落とし穴がある。たとえば「生物>動物>脊椎動物>哺乳類>霊長類>ヒト>男性」という階層分類は、もっともらしく見えて、じつは分類の一貫性を保っていない。有性生殖は多くの生物に見られ、「男性」を「ヒト」の下位に置くことはできないからである。性の二分法は生物界全体からヒトにいたる分類の延長線上にあるわけではなく、この分類と交差する別の軸上に置かなければならない。
このように分類では、枚挙とくらべ抽象的な切り囗のよしあしが勝負になる。一発で正解が出ると考えず、試行錯誤を覚悟すべき作業である。
C.定義
定義とは、あることばをどのような意味で使うか、あるいはある概念の本質は何かを、おもに命題のかたちで言い表すことである。同じことば、同一の概念であっても、意味はひとつとは限らず、用いかたにより意味する範囲が伸び縮みする。論拠とする資料が、あるいは自分が、それをどのような意味で使うかをまずハッキリ示さなければ、主張が読者に通じない。
ただし「○○とは何か」という問いは、その言葉を用いる論証全体の妥当性を左右するため、軽率な定義は命取りともなる。とくに研究分野の慣習や先行研究を知らずに定義を下すと、論拠とする資料まで台なしにしかねない。たとえば面談法学者は「紛争conflict」ということばを、メディアや軍事研究家とかなり異なる意味で使う。定義には土地鑑が欠かせない。
ある問題についての複数の論者の食いちがいや対立が、ひとつのことばをめぐる行き違いから生じることは珍しくない。こうした定義のズレならば、必ずしもその道の先行研究すべてを知りつくさなくても論じられる。こうした定義のズレがひとつ見抜ければ、定義を軸とする論証でレポート全体を構成することもでき、ささやかでもある分野の未解決の問題を解決できるかもしれない。
d.例示
議論が宙に浮くのを防ぎ、読者の理解を助けるために、具体的な例を示すべきことは多い。「たとえば」ということばを使わずによいレポートを書くことは難しい。枚挙ではもれなく数え上げることを重視するが、例示では条件によく当てはまる例(典型例)を見つけることが重要である。
たとえば、さきに枚挙した戦争原因のタイプをくわしく論じようとするなら、それぞれの原因から生じた紛争を、「三十年戦争」「ノモンハン事件」「湾岸戦争」など、具体的に名をあげて例示する必要が生じる【→コラムM】。具体例なしでは、枚挙された原因のリストが妥当か、読者は判断できない。トピックによっては、サポート・センテンスのほとんどが例示となることも多い。
e.時系列化・秩序づけ
できごとの叙述(単なる報告)や枚挙のなかで必要になるのが、時間や空間の秩序にしたがって整理する作業である。
ものごとを時系列(chronological order)にしたがって並べるのは、議論と言うのさえ大げさな単純作業である。だがこうした点が混乱した文章は、読み手に行きつ戻りつを強いるばかりでなく、しばしば初歩的な見落としを生み、書き手の議論を台なしにする。整理する習慣が大切である。
とくに理由がないかぎり、20世紀から21世紀へ、春から夏へ、原因から結果へ、短期的対策から長期的対策へ、と時間の流れに従って論じるのが鉄則である。議論の背景を示すパラグラフや、時間的・歴史的いきさつを説明するパラグラフでは、時系列に従えば、ふつう何から書くべきか迷うことも少ない。空間についても同様であり、北から南へ、出発地から目的地へ、全体から局所へ、などという順序を一度決めたら、最後まで崩してはならない。