2.レポート・サイズまでの論証を構成できる議論のパタン

a.比較

 ふたつのものごとを比べ、その同一性や差異を見つける議論のパタンである。ふたつの組み合わせ方や、共通点・相違点の見つけ方により、まったく新しい問いを立てることができるため、学生のレポートにかぎらず、プロの学問的な著作でもとびぬけて重要な議論のパタンである。

 比較は、レポートのなかの個々のトピックでよく用いられる議論のパタンである。この節にあげた他の議論のパタンも、じつはこの比較というパタンとの組み合わせで使うことが多い。一方そればかりでなく、しばしばレポート全体でひとつの大きな比較を行う、という使い方もされる。

 まったく共通する点のないものを比べても、もちろん意味はない。多くの同一性のなかに決定的な差異を発見し、どこが、どのように、なぜ異なるのかを問うような比較が、もっとも議論しやすく、説得力も大きい。

 一例として西洋史における代表的宗教戦争である「三十年戦争」と、日本で「宗教戦争」とされることの多いアラブ諸国とイスラエルのあいだの数度の「中東戦争」を比較しよう。なるほど、敵対の背景にそれぞれ、カトリック対プロテスタント、イスラーム対ユダヤ教という宗教の相違が指摘される点で、ふたつの戦争は共通する。一方、両者には決定的な差異もある。 17世紀のドイツでは勝者の宗教が領邦に強制されたが、アラブ諸国もイスラエルも宗教の強制を戦争目的としなかった。アラブ側の主要交戦国もイスラエルも、当時この地域で世俗化の先頭に立ち、むしろ宗教勢力を牽制する体制であり、宗教を旗印にした17世紀ドイツとは様子が大きく異なる。ここから「宗教戦争」という日本語が西洋史の概念を知らないまま使われてきたことが分かり、中東の対立の本質を問い直す手がかりも得られる。

b.原因と結果(≒理由と帰結)

 因果関係とは、前後して生じる二つのものごとのあいだに認められる、一方が原因(理由)もう一方が結果(帰結)という関係のことである2。「何かその原因か」「その結果何か生じたか」「どのような理由があるのか」などという問いに答える議論のパタンを作る。ふたつ以上の因果関係が連続して生じたり、同時にはたらいたりすることもある。

 しばしば因果関係の証明は、レポート全体の論証課題ともなり、結論に向け議論を進めるメインエンジンとなる。「何を書けばよいか分からない」と言う前に、因果関係が使えないかを考えるべきである。

 論証には論拠=理由が欠かせず、「何」「いつ」「どこで」「いかに」という問いに比べ、「なぜ」という問いは論証の中心にかかわるばあいが多い。理由や原因を示す「なぜなら」、帰結や結果を示す「したがって」などの接続語を、論証の節目に使うのもこのためである。

 一つ一つのパラグラフに注目しても、あるできごとの原因や理由、結果や帰結が何か、あるいはそれがどのような仕組みで働くかをトピックとするものは数多い。たとえば先に見た戦争原因のタイプに、軍事力の不均衡というものがあった。そのしくみをことばで説明することが議論の基本である。たとえば次のように言えるだろうーーすなわち、対立する勢力双方がひとり勝ちはできないと認識すればニラミ合いに終わり、いずれかが一方的な成果を得られると考えれば結果的に戦争の動機が強まる、と。この説明から均衡のあった例、なかった例について論じれば、書くべきことは尽きない。

 ふたつ以上の原因が同時にはたらく関係では、しばしば何かより決定的かを考える。たとえば、力の不均衡がほかの戦争原因よりも決定的であるという仮説が、具体例から消極的に主張できるかも知れないーーすなわち、冷戦下の東西対立は、国威発揚、報復や制裁、合従連衡、国内的不一致の隠蔽、思想対立、民族の分断、軍需産業の圧力、偶発的衝突など、戦争の原因をずらりとそろえたが、力の不均衡という一点を欠いたため、米ソの直接的な武力衝突は最後までなかった、と。

 とはいえ原因や理由を完全に論証することは、かなり難しい3。また虚偽の因果関係を主張しないよう、慎重な議論が必要である。【→コラムP】

c.相関関係

 ふたつのものごとの発生や増減のあいだに規則的な対応を見つける議論のパタンである。相関関係がある二つのもののうち、一方がもう一方の原因となるばあいが、先に説明した因果関係である。因果関係は原因から結果(理由から帰結)という一方通行だが、相関は双方向の関係である。

 一方が増える(生じる)ともう一方も増える(生じる)関係を、正の相関、逆にもう一方が減る(生じない)ばあいを負の相関という。統計的な処理では計算を用いて、ふたつのものの増減の関係が比例のグラフのように直線上に整列するばあい相関係数1、まったくランダムに散らばるばあいを相関係数Oと表現する。相関係数が大きく、サンプル数が大きいほど相関性は信頼できる。こうした統計数理の最低限の知識がないなら、統計をもとに相関性の有無や大小を議論すべきではない。

 なおデータの見かけ上相関性が認められても、交絡因子が認められるばあいは疑似相関とみなす。【→コラムP】

d.仮説検証

 仮説検証は、結論にふさわしい主張や一見もっともな通説を、いったん仮説として示し、それを様ざまな事実やデータと突き合わせ、誤った帰結や矛盾が生じないかをチェックする議論のパタンである。はじめに仮説として示した主張は、検証の結果、結論部で肯定されることも、否定されることもある。

 仮説検証では、比較や因果関係とならび、レポートや論文の全体の枠となるような大きな議論を作ることができる【→コラムB】。まだ十分な論拠が示されていない主張を立証したり、先行研究や通説の死角を突いたりするさい、仮説検証を用いると、複雑な議論に自然なまとまりと流れを作りやすい。専門家の論文でも、先行する学説のひとつを仮説として受けいれ、それに別の学説をぶつけて検証することは多い(→本節・3)。まず仮説をハッキリことばにし、それが間違っていないかを問い、それを検証する形で全体をまとめる、というこの流れは、「問いイントロ」型の【→コラムE】の変種とも言える。

 たとえば武器輸出規制の効果についてレポートを書いているとしよう。このパタンを用いるなら、まず仮説として「国際的な規制により武器取引は管理できる」などという通説を示し、つぎにこれに間違いがないかを検証する、という順序が考えられるだろう。実状を調べると、比較的規制が厳しいとされる核兵器、生物化学兵器、ミサイル技術などの輸出管理制度でさえ、密輸や情報漏洩、未締約国による取引のために尻抜けとなるケースが多いことが分かる。より供給国の多い通常兵器の輸出管理には、強制査察や罰則の取決めすらないことも分かる。こうしてはじめに示した仮説は否定されるが、この議論により、効果的に規制できないのはなぜか、まず何をすべきかなど新たな問いが生じ、またそれに答えるヒントも得られるだろう。

 なお、いったん示した仮説は、かならず論拠を示して検証しなければならない。仮説はある種の「論拠のない主張」であり、それを言うだけでは「私は○○と思います」という作文と変わらないからである。自然科学や社会科学など、データにもとづく実証研究では、しばしば検証可能なひとつの仮説を設定してから、その検証に適する実験や調査を設計する。


2 理由の不在は耐えがたい不安である。治療には病因の解明が必要であり、犯罪捜査には動機の推定が欠かせず、天体の運行には根拠を力学法則に置く数学的証明が求められる。英語のreasonをはじめ「理由」を指すことばは、ヨーロッパ語の多くで「理性」という意味をもつ。ひとは原因や理由を知って、そのものごとを知ったと考えるからである。
3 ふたつのできごとのあいだの因果関係は突きつめれば仮説にすぎず、とくに自然科学以外のほとんどの分野では検証のしようのない仮説である。たとえば、16世紀ヨーロッパのインフレーション(価格革命)の原因は新大陸からの銀の流入である、などという主張には、十分なデータの検証も対照実験も追試もありえない。それが通説となったのは、多くの歴史家が追認したからである。因果関係の主張の多くは、真理だから支持されたというより、支持されたから真理と見なされているのである。このため、理由や原因の主張はしばしば、その理由を欠いたために同じことがらが生じなかった例の提示や、競合するほかの理由や原因の相対的な弱さなど、消極的な論証に訴える。