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可能性への挑戦 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (完)二、プロローグ(続) 3、旅の終り ゲーテ研究所の四週間のドイツ語研修の終了後、私はそこで得ることのできた会話力と度胸とをひっさげて、西ドイツのいくつかの大学を訪問し、意見交換をした。その最大の収穫は、ミュンヘン大学の現代ドイツ最大の法哲学者アルトゥール・カウフマン教授の知遇を得たこと、そしてドイツ法学界の希望の星はユルゲン・レーディッヒであるということを知ったことであった―この若き悲劇の天才教授との翌年の出会いと別離については次号以下に書く予定である。最後の数日間は、翌年の留学候補地の一つであったザルツブルグ大学法哲学研究所にて研究と調査に捧げることができた。
飛行機の中で思った。パリを見物できなかったのは残念であった、と。しかし、それは私の喜びでもあった。なぜなら、花の都パリを捨てねばならぬほど、この四十日間の旅は密度が高かったからである。だから、日本に向かう日航ジャンボジェット機の中で、肉体の極度の疲労にもかかわらず、未来に対する期待に私の胸は踊っていたのである。 4、学生諸君へ この機会に、本紙の読者である学生諸君に、次のことを心からお勧めしたい。大学在学中に一度は二ヶ月程度の一人の欧州旅行を試みること。その際、旅の最初の一ヶ月は例えば私の経験したゲーテのような語学学校で語学研修をし、そこで得た会話力と度胸をもって、残りの一ヶ月ヨーロッパ各地を旅行すること、これである。会話力があるならば、景色を見て歩く単なる観光旅行ではなく、その土地の人々とよく語り合うことができ、その気質、人情、思想そして文化をよりよく知り、豊かな、意義ある旅をすることができる。語学学校では会話力ばかりではなく、世界各国からの友人達をも得ることができる。また旅の残りの一ヶ月、私は時間がなくてできなかったけれども、その友を欧州各地に訪ねることができる。彼らは心から歓迎し、その土地を案内してくれる。友情が深まる。国を超えた恋愛も生じるかもしれない。 参加する語学コースとしてはドイツ語ばかりでなく、英語、フランス語についても、ゲーテのような学校がそれぞれの国にある。ただ注意しなければならないのは、日本の旅行会社がセットしたような語学研修コースは避けることだ。なぜなら、向こうへ行っても、いつも日本人とばかり研修(?)することになってしまうからだ。 先立つものは金であるが、大学生協の自由旅行団で知り合った学生諸君に聞いた範囲でも、ほとんどの諸君がアルバイトで旅費をためたとのことであり、また卒業・就職後月賦で返済していくローンをやっている航空会社もいくつかあるので、諸君にとって、その気になれば、決して不可能なことではない。二ヶ月間も自由に時間がとれるのは、大学時代をおいてないことでもある。前号において、私はゲーテの体験をかなり詳しく報告したが、それは右に述べたような旅行を諸君に是非お勧めしたかったからである。かの地での二ヶ月は、かならずや、青春の一つの美しい燃焼となるとともに、諸君の視野と人生の可能性を大きく開いてくれるであろう。 三、新たなる出発の原点 一九七四年の四十日間の欧州訪問を通じて私が得たもののなかに、次のような認識があった。 そのような認識に基づいて、私はドイツ・オーストリア留学の目標を、たんにその地の進んだ法律学とその成果を吸収するということにとどまらず、それを発展せしめるとともに、その成果をその地の学界、さらには世界の学界に問い、学問の国際的レベルでの発展に寄与するということにもおいたのである。 私が、自己の非力にもかかわらず、このような、不遜ともいえる、大きな目標を設定したのは、一方において、実定法学は実定法を対象とするが、法の内容は国によって異なっているため、間国家的なレベルでの研究が容易でないのに対し、私の特に専攻する法哲学という学問は、法律学の基礎理論として、国際的に共通する基盤と対象とを有しており、間国家的な研究も可能であるので、私は一人の法哲学者として日本法学を世界へ輸出するために、その尖兵の一人として働く特別の責任が与えられていることを自覚したためである。他方において、次のような素朴な問を抱いたからである。三菱商事、日商岩井、安宅産業等の商社マンや、本田、ソニー、日立等の社員にできたことが、なぜに法学者にできないということがあろうか?研究の成果を世界に問い、日本の法律学とその成果を世界にどしどし輸出していく可能性は私たちにもある筈だ。必要なのは、その可能性へ挑戦することだ、と思ったのである。 だから、留学を前にした最後の講義で学生諸君に宣言した。 四、ザルツブルグ留学 私は一九七五年三月中旬、再びヨーロッパの土地を踏んだ。今度は長期留学をするためである。飛行機が着いたのは、前年そこからヨーロッパを離れることになったパリ・ドゴール空港。ドイツへと気ははやるが適当な便がないため、なんとか時間をつぶし、その日の夜行列車でドイツに向かった。目が醒めると、車窓の外には朝靄の中に懐かしいバイエルンの風景があった。本当に故郷に帰ってきた気がした。オーバーバイエルンのコツヘル湖畔のゲーテで、再び、今度は八週間のドイツ語研修をした後、オーストリアのザルツブルグに向かった。駅には法哲学、法倫理学者として世界的に著名なタンメロ教授が迎えに来てくれた。一九六九年来の友人である彼の主宰するザルツブルグ大学法哲学研究所で、約五ヶ月間研究をさせていただくことになっていたのである。 ザルツブルグは、ドイツとの国境近くに位置するザルツブルグ州の首府であるが、モーツアルトの音楽の都として、有名であり、世界で最も美しい古都の一つとして、よく挙げられるところである。この美しい町で、敬愛する友とともに法学の最先端の研究に没頭できるのは、私の大きな喜びであった。 白金通信 第114号に掲載 |
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