![]() |
| English | Sitemap | Contact |
可能性への挑戦 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (完)六、ミュンヘン留学 ミュンヘンはバイエルン州の首府で、人口百三十万の大都市である。ミュンヘンは我が国にはビールとオリンピックで良く知られているが、ドイツの芸術と学問の一つを形成する文化の都である。ミュンヘン大学も、北部諸州に対抗するバイエルン州政府の特別の肩入れで、今日学生数三万五千のドイツ最大の大学の一つとなっており、また最優秀な教授陣を集めている(噂では同大学の教授は他大学の教授の倍額の給料をとっているとのこと)。 私は、一九七六年の五月中旬から、七七年の、ドイツ留学最後の日、九月一九日まで、ミュンヘン大学法学部のアルトウール・カウフマン教授の主宰する法哲学・法情報学研究所の客員教授として、同時に哲学学部のシュテグミュラー教授の主宰する哲学・論理学・科学理論セミナーの客員として籍をおかせていただいた。この間七六年六月末までギーセンでの講義があったので、約一ヶ月半、両方に住居を借り片道八時間の道程を講義のため夜行列車で行き来した。この二重生活は体力的に大変きつかった。 ミュンヘンでの私の「可能性への挑戦」はそれまでの留学中の研究と教育を通じ得たものを更に深化発展せしめるとともに、その成果を独墺の学会に問い、いよいよ世界へ乗り出す第一歩を切り開くことにあった。この目標を実現に至らしめるために、私は次の三つの挑戦をおこなった。 まず第一にミュンヘン大学においても、一九七六年冬学期、カウフマン教授のお力添えで、法論理学の講義とそれに付随した演習を持たせていただいた。出席者は多くはなかったが優れた参加者を迎え、大変充実した講義とセミナーを持つことができたと思う。 第二の挑戦は、学会における積極的な討論会への参加であった。七六年十月に開かれたザルツブルグでの法論理学の国際学会のときにはじめて、討論への参加に踏切ことができた。数々の著作で知っている高名な学究に互して討論していくことは気が重いことであったが、使命感と度胸でそれを克服した。 第三の挑戦は、研究成果の当地での公刊であった。まず、右の学会で展開した私の法論理学の基本的考え方を「法論理学の出発点」という論文にまとめて、この学会の報告を中心に編集された論文集(七十八年三月刊)に寄稿した。次に、一九七八年三月より、それまでの独墺での研究と教育を通じて書きためたタイプ用紙四百枚に及ぶ独文の粗稿を、特に許された六ヶ月の再延長期間中、改良補充し、論文や本の原稿へとまとめあげる作業にただひたすら没頭した。その結果、「法論理学の方法としての特別の規範論理の必要性について」(『レーディッヒ記念論文集』七八年五月刊)および『正義論の論理的探究』(未完)の原稿を完成し、『法論理学綱要』―これはギーセンの学生に約束したものである―を六割がた書き上げることができたのである。これらによって、私は、ようやく念願の世界の学界に打ってでることが出来つつあるように自分では思う。 右にあげた三つのなかで第一の作品についてちょっと触れたいと思う。これは、先に紹介したワインベルガーVSレーディッヒ論争について、前者の激しい攻撃に対しほとんど反論することをなく不運にも死んでしまったレーディッヒに代わって、ワインベルガーの批判を厳しく反批判した論文である。 これによって、一ヶ月余の短い間であったが、彼のご交諠にも報いることが出来たのはないかと思う。私は浪花節自体は好きではないが、浪花節の描く世界は好きだ。「一宿一飯の義理に感じて」という。その研究所に草履を脱いだ遠い東洋から来た小さな客人が、親分の突然の死に遇い、残された講義と生徒を引き受けて果敢に奮闘し、さらにまた親分の永年の宿敵と死んだ親分に代って紙上で刃をまじえる、という浪花節的図式は、ドイツ人には到底解ってもらえなかったであろうが、当時の私の行動を決定づけた意識の中には確かにあったのである。もちろん、今は私は、二人の争いを超え、この学問の新しい地平を目指さねばならない。 七、エピローグ ものごとには必ず終わりがくる。私の留学の終わりは、一九七七年九月一九日であった。一年間ミュンヘンで一緒に暮らした妻と四人の子供と共に、そしてミュンヘン大学のゲストハウスで家族ぐるみのお付き合いをさせていただいた東京医科歯科大学の椎貝先生ご家族と共に、午後五時フランクフルト発の日航機でドイツを後に日本へ向かった。 まったく慌ただしかった留学生活だった、と眼下に去り行くドイツの森を見ながら思った。常に時間に追われていた。絶えず目前の課題を完遂しなければならなかったからである。その課題は、日本出発以来の大目標である間国家的レベルで研究をし、その成果を発表していくという目標の実現をするために、自ら立てざるを得なかったのである。一つの可能性への挑戦が終わると、さらに次の可能性が挑戦を待っていた。そしてさらに次の可能性が。こうして、大目標の実現という全体としての可能性に私は挑戦し続けたのである。私は実力以上に大きな目標をたて背伸びをしていたにちがいない。だから、私の「可能性への挑戦」の過程は、時間的に体力的に、精神的に大変きつかった。しかし、身を捨てて頑張り通すことによって、私は一段階また、一段階と飛躍することが出来たように思う。確かに私は最初は度胸と心臓だけでもっていたにちがいない。しかし、それでもって頑張り続けることによって、実力の点でも実績の点でも新しい段階に這い上がってこれたのではないか、と私は思った。そのとき、ジェット機は雲海を成層圏へと突き抜けた。新しい、遙かなる地平が窓の外に開けた。私の学問の未知の地平も、このように私の前に開けてきている、と私は思った。これからは、まっしぐらに目標に向かってひたすら跳び続けるのみだと思った。 未来への期待感と共に、そのときの私には、自分が与えられた絶対時間と能力の限りを尽くして可能性へ挑戦してきたのだ、という生の充実感があった。生命の燃焼しつくした二年半であった。 八、むすびに 七回にわたって連載してきた私のドイツ・オーストリア留学記はこれで終わらねばならない。この体験記を結ぶにあたりその主題を整理してみたいと思う。 何のために私は自己の体験と内面とをあからさまに語ったのであろう。誤解や非難を受けることが十分予想されるのに、私は、私が留学体験を通じて得たものを私一人のものに留めておきたくなかったのである。勇気をもって、本誌の読者である学生諸君ならびに若きOB諸君に伝え、呼びかけたかったのである。すなわち、「可能性への挑戦」を。 すべての人に人生のそれぞれの場面において豊かな可能性が与えられている。その可能性に挑戦するか、それともあたら見過ごしてしまうかが、その人の人生の展開に決定的意味を持っている。この「可能性への挑戦」を可能にし、それを成就せしめるところの要素について、私は私の体験の記述を通じて語ったのである。すなわち、それは次の三つからなる。第一に「大志を抱くこと」、第二に「決断と度胸」、そして第三に、「身を捨てきること」、である。 「大志を抱け!」。これは、クラーク博士が札幌農学校を去るにあたって残した言葉である。人間の大きさ、人の人生展開は、いかに大きな志を抱くかにかかっている。私は、留学中、とくにレーディッヒとの接触を通じて、はじめてこれを実感として受け取ることができた。以来、私は志を出来るだけ大きく保持することに努めている。大志は夢とは違う。夢は夢、実現への意欲を伴わないが、志は実現への意欲と決意をともなっている。大志を抱く時、はじめて、その実現のために挑戦すべき様々な「可能性」が見えてくるのだ。 挑戦すべき「可能性」が明らかになったら、「決断」してそれに挑戦するのみ。チャンスのある期間は短い。しかし、大きな決断の後には不安と迷いと後悔がやってくる。これを克服できるものは「度胸」である。他人に出来ることは自分にもできる。だから腹を据えることだ。 可能性への挑戦をかならず成功に至らしめるためには、目的実現のため「身を捨てきる」ことが肝要である。身を捨て切ったならば、不思議なことに、自ずと人一倍の努力も出来るようになる。この努力がその挑戦を成功に導くのである。 限られた枚数のなかで、以上の真理を私の体験を通じて証しすることに、私は努めたのである。果たして、それに成功したかどうか。それにしても思うのだが、私は三十代半ばを過ぎてはじめてこの人生の真理に到達した。もっと若い時にこのことを知っていたら、と思う。もし、そうであったら、私の現在と将来はもっと違ったものとなっていたであろう。しかし、もちろん、人生の新展開を決断するのに今からでは遅すぎるということはない。 さて、諸君はどうか。諸君は自覚ある人生を今まさに歩みだしたばかりではないか。すべてがこれからだ。だから、私は、諸君に声を大きくして呼びかけたいのだ。 諸君よ、大志を抱け!可能性に挑戦せよ!そしてさらに挑戦せよ!決断せよ!決断したからには度胸だ!腹を据えろ!そして、一つの目当に身を捨て切れ!そして、頑張れ!頑張れ!頑張れ!そうすれば、未来は諸君のものだ。 ********************************************************** 最後に、もっとも重要な一つの言葉で本稿を結びたいと思う。それは「感謝」である。私は、何よりもまず神に感謝を捧げねばならない。なぜなら、私の留学中の生活を支え守り、私の可能性への挑戦を成功に導いてくださったのは、常に神であったからである。様々な危機に際し、また可能性への挑戦の過程で遭遇した多くの困難に際し、私は神に祈り、その助けを求めた。神は常にその祈りを危機届けて下さった。まことに、「Gott Sei Dank!(神に感謝!)」である。 それから、私の留学を支援し助けて下さった人達に心からの感謝を捧げたい。ザルツブルグ、ギーセン、ミュンヘン大学の同僚および学生諸君、ドイツでの研究生活の大きな部分を経済的に支えてくれたフンボルト財団の方々をはじめ本当に数多くのかの地の、そしてまた本当に数多くの我が国の人達が、私を支えて下さった。そのご支援ご援助なくては、私の独墺での「可能性への挑戦」は成立しえなかったところである。その意味で、とりわけ、本学の法学部の同僚の諸先生ならびにすべての教職員の方々に、特別の深甚の謝意を表したいと思う。その恩義に報いるため、私は本学において研究と教育に与えられるすべての課題に身を捨てて一層の努力をしていきたいと思う。最後に学生諸君にも。感謝。 皆様、有り難うございました。 白金通信 第118号掲載 |
||
|
©2005 Hajime Yoshino Online. All rights reserved.
|