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可能性への挑戦 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (完)四、ザルツブルグ留学(続) ザルツブルグ大学法哲学研究所は、旧市街のど真中に位置するレジデンス(旧王宮)のなかにあった。建物も調度もすべてがバロック様式そのものであり、本当に落ち着いて「法哲学する」ことのできる雰囲気であった。 研究所の構成は、タンメロ教授の下、助手が四人、秘書が二人、司書が一人、学生研究補助員が二、三人といった陣容である。 独墺の大学の教育・研究制度 この機会に、私の在外研究期間を通じて見聞したところに基づいて、ドイツおよびオーストリアの大学の研究・教育の制度と組織について若干紹介することにしたい。なお、両国の大学の制度は基本的に共通している。 大学は周知の如く、複数の学部から構成され、各学部は、研究・教育上の独立性を確保している。例えば、各学部は独自の図書館、研究所群およびそれを支えるスタッフと事務部門をかかえている。もっとも、戦後相次いで設立された西ドイツの新しい大学においては、学部の独立性は縮小ぎみではあるが、――例えば、中央図書館集中方式等。西ドイツにおいては、近時の大学改革の結果、州によっては、学部の最高決定機関として学部会議(Fachbereichskonferenz)が設置されており、それは教授、助手、学生および研究・事務職員の四者から構成されている。各グループの代表者数の割合は、大学によってまちまちであるが、教授は全員、助手代表二名、研究・事務職員代表二名というのが大抵の傾向のようである。したがって、教授会が一本にまとまっているかぎり、教授会が実質的決定権を維持することになるが、教授会が内部分裂すると学生や職員のグループが人事や学事の重要議案についてキャスティング・ボートを握ることができる。 教育は、講義を中心とすることは、ドイツにその範を求めた日本の大学と同様であるが、近時マスプロ化の進展著しいものがある。マスプロの弊害を少しでも解消するため、演習(Seminar)のほかに、練(実)習(Uebung)が設置され積極的に活用されている。 学生の気質は我国の学生と比較してより積極性に富んでいるようである。他は似たようなものであり、授業中、私語をしたり、出たり入ったりするふとどきな者がいる点では、どこかの大学と全く同じである。 研究は、教授が一人または数人で共同して主宰する研究所(Institut――伝統のある大きい大学において)、または一人で所有する講座(Lehrstuhl または Professuer)を基点として行われる。教授一人に対して、最低一人の秘書と一〜三人の助手ならびに数人のアルバイト研究補助員が与えられている。自然科学系ではその規模が大きくなることは勿論である。各研究所は独自の図書室、演習室、助手の部屋等を有し、独立の研究予算をもらっている。研究が、十分な財政的裏付けのもとに、自由に独立して、しかも組織を使って遂行できるようになっているのである。 ドイツおよびオーストリアはそれぞれ連邦国であり、教育は各州の管轄となっている。すべての大学は州(国)立で、私立大学というものはない。教授は自己の報給を含めて、研究または講座の規模と施設およびスタッフの予算を州政府の文部大臣と直接交渉する権限が与えられており、各州政府は競って優秀な教授を自州の大学に招こうと努力するので、すぐれた研究業績を出せば出すほどより良い研究条件を得ることができるような仕組みになっている。研究に対する金の出し方、量が、我が国と比べてこのように違うのは、近代、科学と文化を生み出してきたドイツの大学の伝統によるものであろうが、我が国も今日、学問に金を出す各界のこれまでの姿勢が大転換されるべき時がきていることを痛感した。日本の学者は一般に、文科系理科系を問わず、研究の手足を与えられていないので、その分だけ、欧米の学者が休暇や家族または友人と夕べの談らんを楽しんでいる間にも、仕事を続けなければならない。日本の研究者は、体の酷使と家族生活の犠牲でもって、欧米の学者となんとか張り合っているわけである。研究条件が整備されるまでは、我々はこの無理を続けていかねばならないのである。 決意を新たに そんなわけで、「単に吸収ばかりでなく輸出もする」という大目標を立てて欧州にやって来た非力な私にとってはなおさら、その「可能性への挑戦」を成功に至らしめるためには、人並み以上の専心と努力とが要求された。しかし、それを実行するのは簡単なことではなかった。というわけは、とにかく、この世の美と楽しみとが私のまわりに渦巻いていて、無味乾燥な研究生活から引きずり出そうと私を常に誘惑していたからである。
そんなある日、ギーセン大学のユルゲン・レーディッヒ教授より招待の手紙を受け、ライン河畔レーマーゲンの私邸に教授を訪ねるため、ザルツブルグを立った。 白金通信 第115号掲載 |
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