3.適切な論拠を示す

 「問い」と「答え」が正しく意味のあるものとなるためには、正しく意味のある「論拠」が必要である。論拠とは答えとなる主張の理由や証拠のことである。初心者のばあい「なぜなら」「したがって」という論理的な急所を示すサインを使えるかが、論拠をはっきり意識したレポートにできるかの、ひとつの分かれ目となる。

【ポイント2】論証における論拠の位置づけ(どちらかの順序で)

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 論拠は、正しいか正しくないか(妥当か妥当でないか)を誰もが確認できる客観的なデータや一般的事実、(執筆者本人以外の)第三者の主張でなければならない。

 高校までの学習内容で、レポートや論文にもっとも近いかたちをそなえるのは、おそらく数学の証明や、物理や化学の実験レポートである。ふつう数学ではひろく認められた公理や定理が、物理や化学ではだれもが追試1によって検証できる実験データが、それぞれ論拠とされる。ハッキリした問い、ハッキリした論拠、ハッキリした答えがそろってはじめて「誰が考えてもこうならざるをえない」と主張できる。こうした要素のそろった議論を、論証(argumentation)と呼ぶのは、さきに述べたとおりである。

 一方、人文・社会科学などの分野では一般に、すでにひろく知られた他人のことばを論拠とする(つまり出版されたことばを引用する)。もちろん自然科学でも、ふつうは先行する誰かの学説を足がかりにする。耳慣れないことばだが、論証のなかで論拠として他人のことばやアイディアを示すことを、誰かに責任を負わせるという意味で帰責きせき(attribution)と呼ぶ。学問的な主張をするさい、一からすべて自分ひとりで証明する必要はなく、すでに証明された部分はすぐれた先行研究にまかせてよいのである。この帰責こそ学問を前に進める原動力と言ってもよい。

 帰責ぬきに論拠はありえないという意味で、論証と帰責はクルマの両輪の関係にある。このふたつを何とか作法どおりに示せれば、レポートらしいレポート、論文らしい論文が書けるようになったと言える。

 レポートや論文のなかで帰責を担当するのは、誰が何という本の何ページでそれを言っているのか(典拠)を示し、他人のアイディアやことばを引用する部分である。具体的には、参考文献表をふくむ典拠表示と「パラフレーズ2」をふくむ引用とがそれらにあたる。この帰責の示し方にはかなり厳格なルールがある【→第5節第6節。帰責の不備はつねに不正行為という批難と隣あわせであり、他人のことばやアイディアを盜んだと言われないためにも、使いこなせなくてはならない。


1 ある論文で発表された結果が得られるかを確認するため、同じ方法で論文執筆者以外の第三者が行う実験のこと。複数の追試で同じ結果が得られないと、論文の信价|生は認められない。
2 パラフレーズとは「言いかえ」のことで、他人の文章をことば通りに引用せず、そのアイディアだけを自分のことばで紹介するスキルである。パラフレーズは具体的には「要約」に近い。【→コラムI】